鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

雨の日( 古い革袋を後にしつつ )

 
 今日は朝から雨が降っていました。いつもは午後3時過ぎになると、そわそわし出します。散歩に行かなきゃあ、と言うことです。そう思いながら、まだパソコンに向かっており、少なくとも4時30分にもなると腰を上げることになります。その頃になると、階下から連れ合いのスミさんが、「散歩に行かないの。早く行ってらっしゃい」と叫ぶのです。言われなくてもと思いながら支度をします。ショルダーバッグに財布、手帳、ティッシュペーパーは多めに入れ、手袋を持ち、帽子をかぶって出陣するのが常でした。ティッシュを多めに持つのは、どうやら私も花粉症の気があるようで、鼻水が出て、目も痒くなります。それでもそんなに激しくはないので、油断しているようです。実際、マスクをすれば症状が出ません。こうして、昨日は日曜日でしたが、夕刻散歩に出かけ、1万歩を達成しました。
ところで、先週は散歩を怠けたことを告白しなければなりません。月曜日、21日にAUの販売店に行きました。携帯電話の充電のためにあるコネクターの調子が悪いので、見てもらうことにしたのです。電源がコネクターに入りにくくなったのです。修理の必要があるということで、預けてきました。約10日はかかるということです。その代わりの携帯電話を貸してくれました。しかし、それには万歩計が付いていないのです。不思議なもので、歩いた結果が出ないということは、あまり歩く気にもならなくなります。毎日歩いているので、いつものコースを歩けば1万歩は達成できることは分かっています。しかし、記録が残らないので、どうでもよいと思うのでした。そのため、いつもの半分くらいしか歩かなかったのです。10日間も万歩計の付いた携帯電話を所持しないことに対する寂しさがありました。ところが、10日間ということでしたが、24日には修理ができたとの連絡が入りました。4日間で修理が終わりました。すぐに取りに行き、早速また歩きはじめたのであります。預けた週、20日から26日の歩数は3万3千歩でした。毎日、目標を歩けば1週間で7万歩になるので、半分しか歩かなかったことになります。日曜日から始めて土曜日までが一週間の目標になります。だから昨日はその第一日ですから、まず目標に達しましたが、今日は朝から雨で散歩に出かけられません。時々、ずるいことをします。歩かなくても、その場で足踏みしていれば、カウントされるのです。雨の日は1万歩足踏みするのかな。
そんなわけで、今日は散歩に出ないので雑誌「文藝春秋」の3月号を読んでいました。元内閣総理大臣海部俊樹氏が「政治家・小澤一郎に生前葬を」との題で執筆していました。「政治とカネ」の問題をあからさまに記しています。海部氏自身もカネをばらまいたことを述懐しつつ、小澤氏のばらまき方について記しています。長きに渡り政治の世界に君臨していることはよろしくないことを記しているのです。この文藝春秋には最初の頁はコラム欄がありますが、そこに塩野七生氏が「廃車処分の勧め」と題して記しているのを読み、それから海部氏のものを読んだのです。塩野氏は、フィレンツェの市長について記していました。市長は修理ができない車は廃車にすべきであると発言していることです。これは明らかに政治家を示しているのです。上に立つ者は、旧態依然のままで、まさに修理ができないのであり、そのまま乗ろうとしているところに問題があると指摘しているということです。修理が不可能であるなら廃車にすべきであるということです。時代が進む中で、古い考えの人がいつまでもトップにいるのは良くないということです。塩野氏は日本の政治家にも当てはめているのでした。
このような体制は日本のキリスト教界にもあるようです。いつまでも担がれてトップにいるのは良くないし、体制を退化させてしまうのです。新しい時代には新しい宣教の取り組みが必要なのです。それとも老体に鞭を打って宣教活動をするのでしょうか。
<聖書の言葉>
だれも新しいぶどう酒を古い革袋に入れはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋はだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。
ルカによる福音書5章37節、38節)