鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

神の庭という老人施設( よりどころとしている福音 )

 
 昨日は夕刻5時より、「神の庭サンフォーレ」支える会の協力委員会が藤沢にあるサンフォーレ本社で開かれました。今までは、日本基督教団の役員会と重なる場合があり、協力委員でありながら欠席することが多く、申し訳ないと思っていました。委員会は6月に総会を開催しますので、その準備を兼ねて開かれました。それから、もう一つ大事なことは、今まで会長を担ってくださっていた先生がご事情で辞任されることになり、委員会はやむなきこととして辞任を受け止め、新会長を選任しました。世の中の常は、今まで副会長を担っていた方が会長に就任することであります。そのように私は皆さんに申し上げて推薦しました。しかし、この「神の庭サンフォーレ」を立ち上げたのは鈴木氏であると言われ、私が推薦されたのでした。6月の総会で決めることになったのでした。今まで教団の職務に重点を置いていましたので、立ち上げた一人でありながら、あまり支えることができませんでしたし、今は現役から退いたので、引き受けることにしたのでした。今後は、何かと「神の庭サンフォーレ」について、このブログに記すにちがいありません。1月31日のブログに、わずかに紹介していますが、今日は「神の庭サンフォーレ」が立ち上がるまでのことを記しておきましょう。
 1994年9月18日、神奈川教区宣教部委員会主催で「教区の宣教を考える会」が開催されました。教区四役、宣教部委員11名の出席でした。その時、教会においても高齢化が課題とされており、教区の宣教としてキリスト教老人施設の可能性を探り、実現に向けて歩むことが決められました。早速、公開協議会を1995年1月14日、大塚平安教会にて開催することに致しました。主題「老後の生活」(教区内教職・信徒のための老人施設を考える)のもとに発題があり、その後協議会を行いました。出席者からいろいろな意見が出され、今後の参考としたのでした。出席は52名でした。その後1996年5月11日に逗子教会を会場に開催、38名の出席でし。こうした中で「老人施設プロジェクト委員会」を立ち上げ、1995年3月14日に第1回委員会を開催しました。委員会は各地区で説明会を開催します。このころには老人施設の概要が決まってきました。神奈川教区が老人施設を建設するには資金的にも困難であり、老人施設を新しい取り組みで建設している株式会社サンフォーレと提携して建設する方向としたのであります。ここまで具体的な提案になると、かなり批判的に意見が出されるようになりました。
 老人施設プロジェクト委員会を立ち上げたとき、葉山に居住される方が物件を申し出てくれていました。475坪もある土地ですが、しかしこの土地は条件がありました。この土地は借入契約に基づく担保物件であり、その金利等1億2千万円を支払うならば、無償で提供するというものでした。かなりの費用を要することになり、それだけ入居金が高くなるのです。その条件を協議しているとき、秦野の物件が候補になりました。旧日立製作所社員寮であります。結局、その物件で進めることにしました。株式会社サンフォーレと神奈川教区が提携して、老人施設をここに建設するというものです。それには神奈川教区総会で決議されなければなりません。公開協議会、説明会でも批判的な意見を寄せている人達が、総会でも反対意見を出し、議論は並行するばかりでした。継続して審議しましたが、採決すれば可決されることは分かっていましたが、かなりの反対意見もありましたので、この議案は取り下げにしたのでした。そして、これは有志で取り組むことにしたのであります。株式会社サンフォーレも有志の取り組みを受け止めてくださり、「神の庭サンフォーレ」が立ち上げられたのでした。
 現在、入居者は22名、グループホーム入居者は8名おられます。月に二回の礼拝を行い、賛美の集い、ピアノの演奏会、話し相手等を担いながら、入居している皆さんを支えているのです。主事としてお働きくださっている先生には心から感謝している次第であります。
<聖書の言葉>
兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これはあなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。
(コリントの信徒への手紙<一>15章1節)