鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

祝福の木曜日( 神の御心ならば )

 
 八王子医療刑務所から昨年1月から3月までの源泉徴収票が送られてきました。そろそろ確定申告をしなければならない時期に来ています。教誨師を務めていましたが、謝礼としていただくのは交通費程度です。謝礼が目的ではなく、教誨師として刑務所に関わることですから、謝礼はなくてもよいのです。服役中の皆さんに聖書のお話、イエス様の福音を示すことが目的なのです。送られてきた封書を見ながら、忙しかった木曜日の一日がしきりと思い出されるのでした。今日は金曜日ですが、以前の木曜日を振り返っておきましょう。
 もともと刑務所の教誨の職務を開拓したのは仏教でした。日本のキリスト教はその働きに後から参入していったのであります。従って、全国的にも仏教の皆さんが三分の二はしめている状況です。日本基督教団における教誨師は約100名です。昨年3月までは私もその一人でした。私が教誨師を引き受けたのは1994年からでした。今まで担っていた牧師が退任することになり、神奈川教区に後任を求めてきたのです。その当時、私は神奈川教区総会副議長を担っていました。その時の数年前まで、私が横浜保護観察所の保護司をしていたことを知っている人たちが、これは当然私が担うべきだということになり、引き受けたのでした。保護司は約5年担いましたが、我が家の子供たちが中学・高校生の頃でした。保護観察は観察を受ける少年たちが我が家にやってきて、生活状況を報告するのです。ある時、観察を受ける少年が訪れた時、我が家の子供にぱったり出会ってしまいました。中学時代の友達だったのです。お互いに気まずい思いをしたようです。そのことがあってから、観察を受ける少年と、年齢的にも同じような子どもを持つ親として、この職務は退いた方が良いと退任したのでした。
 刑務所の教誨師は赴くことですから、保護司とは異なるので引き受けました。大塚平安教会から八王子医療刑務所まで、車で1時間10分くらいかかりました。教誨は午後2時から1時間ほど行います。毎月第4木曜日でした。その第4木曜日は綾瀬深谷地区の家庭集会が開かれます。10時30分から始まるのですが、終わると食事を出してくださるのです。お集まりの皆さんもご馳走を御持参くださるので、美味しいものをいっぱい食べさせられ、お腹いっぱいになります。その上で八王子に向かうのです。その結果はどうなるか、お分かりでありましょう。眠気と闘いながら車を運転しなければなりません。危険なので、コンビニの駐車場で休んだことがありました。寝過してしまい、教誨の時間に遅れてしまったこともありました。
 だいたい木曜日が問題でした。木曜日は朝8時30分から社会福祉法人綾瀬ホームの職員礼拝があり、続いて利用者の礼拝が9時から行われていました。礼拝はそれぞれ30分くらいで終わります。いつもではありませんが、その木曜日に幼稚園の会合が開かれることがあります。それでも10時30分の家庭集会に間に合わなければなりませんでした。そして家庭集会が終わると刑務所です。木曜日だけでも4、5回の集会を持っていたのでした。その木曜日に教区や地区の集会の案内があったりしますが、刑務所が終わればその日は終了としていました。刑務所の門を出るとき、やれやれとつくづく思うのです。
 国道16号線を通って帰ってきますが、相模原にJMNファミリーという施設があります。スポーツジムあり、宿泊施設あり、そしてサウナがありました。その日は、そこでゆっくりと汗を流して帰途についたのでした。教誨師は2010年3月を持って退任しました。今、現在何もすることが無いので、退任しなくてもよかったかなとも思ったりします。しかし、ここから八王子までは2時間はかかります。往復4時間かけて赴くには、年齢的にも無理になっています。
 それにしても木曜日は本当に忙しかった。魔の木曜日などとは申しません。祝福の木曜日であったでしょう。多くの人たちがイエス様の福音を示されたのですから。
<聖書の言葉>
人々はもうしばらく滞在するように願ったが、パウロはそれを断り、「神の御心ならば、また戻って来ます」と言って別れを告げ、エフェソから船出した。
使徒言行録18章20節)