鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

鳴子こけしの歌( 喜びの歌と共に朝を迎え )

 
 今日はキリスト教書店の営業の人が本を届けてくださいました。わざわざ個人の家にまで配達してくださること、申し訳ないと思いますが、誠にありがたく思っています。大塚平安教会時代、赴任する以前から東京聖文舎と取引があり、幼稚園も含めて個人的な書籍の注文をお願いしていました。東京の市ヶ谷から、他にも回るのでしょうが、大塚平安教会にまで配達してくれるのは大変ではないかと思っていました。横浜にもキリスト教書店があるからです。ところが数年前に東京聖文舎が店を閉じることになり、それを機に横浜にあるキリスト教書店にお願いすることになったのです。その書店の営業の人が月に一度は寄ってくださるのですが、それだけのことでした。ところが、それだけの人ではないことが後で分かるのです。牧師の知人が、その営業の人が宮城県鳴子におられた高橋萬三郎さんのご子息であることを教えてくれたのです。驚きました。高橋萬三郎さんとは深い思い出を持っているからです。
 神学校を卒業し、最初は東京の青山教会の副牧師として4年間勤めましたが、その後は宮城県の陸前古川教会に赴任しました。赴任して間もなくのことですが、教団の「信徒の友」の取材がありました。「信徒の友」は諸教会を毎月紹介していますが、赴任して1週間もしないうちに取材を受けたのです。その時、周辺の教会の牧師達との対談があり、そこで鳴子におられる全盲の高橋萬三郎さんのことを示されたのでした。陸前古川教会から車でも、電車でも約1時間のところに鳴子教会がありました。そこの牧師は高橋トキ先生でした。お連れ合いが高橋萬三郎さんであり、保育園の園長をしておられたのです。お隣の教会であり、また地区の交わりを通して高橋ご夫妻とは親交が深められていきました。特にまだ小さい子ども達がいる我が家に対して、何かとお心づかいを示してくださっていました。高橋萬三郎さんは童謡詩人として、これまでも数冊の詩集を出しておられました。大変感銘深い詩を発表されています。
 代表的な詩を紹介しておきましょう。「こけしの夢」です。「鳴子こけしは買われて行って/きっと木地屋を思い出す。/かわいこけしはどこかの家で/夜は鳴子の夢を見る。/鳴子こけしは鳴子をはなれ/お湯のにおいが恋しかろ」。高橋萬三郎さんと出会って5年を経た時、クリスチャン新聞が「あかし文学賞」を設定して募集していました。これはひとつ萬三郎さんの証しを書いてみることにしたのです。そのため1時間離れた鳴子教会を足繁く通い、萬三郎さんのこれまでの人生を伺ったのでした。時には鳴子温泉に泊まりながら原稿を書いたのです。原稿を書き上げ応募しましたが、作品は選外佳作という評価でした。それでも萬三郎さんは、私の作品を大変喜んでくださいました。その後、萬三郎さんの「小鳥と草笛」という童謡詩集が出版されることになり、その出版記念会で、私が執筆した萬三郎さんの証しを「鳴子こけしの歌」(盲目の童謡詩人・高橋萬三郎の歩いた道)と題して出版し、皆さんに差し上げたのでした。萬三郎さんの童謡詩集に花を添えたと喜ばれたのでした。「鳴子こけしの歌」の序で、「同氏の童謡は主イエスの心に満ちあふれている。例えば、今回発行された『小鳥と草笛』の序で、『童謡は、童心に恵まれた大人が作る児童の童謡です』と言われ、『童心は神に通じる心』ですと述べておられるように、同氏にとって童謡とは、主イエスの心そのものだった。だから、これは私ばかりではなく、読む者が皆感銘を受けるのだろう」と記しています。
 改めて、35年も昔に書いた「鳴子こけしの歌」を紐解いたのでした。キリスト教書店の営業の方が萬三郎さんのご子息であり、きっと宮城にいる頃お会いしていると思いますし、出版記念会でもお会いしていると思います。わざわざ自宅にまで書籍をお届くださること、高橋ご夫妻を忘れることのできない神様のお導きなのでしょう。
 著作の最後は、「これは鳴子こけしの歌である。じっと立ってほほえんで、信仰に生きる貴さと、力強さと喜びを、こよなく知った『萬三郎こけし』の歌である」と記しています。
<聖書の言葉>
主は、泣きながら夜を過ごす人にも、喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。
詩編30編5節、6節)