鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

涙物語( 涙をことごとくぬぐわれ )

 
 我が家から歩いても15分くらいのところに横浜南共済病院があります。六浦に転居してから、連れ合いのスミさんはこの病院で腰の痛みを診てもらっています。従って、何回かこの病院に入っていますが、私も小さい頃はこの病院に通ったのでした。それから私の母がこの病院に入院していました。それにより私の牧師物語が始まるのですが、それについては他においてお話し、また書いてもいますので、今日は触れないことに致しましょう。私が小さい頃にこの病院に通ったのは、何よりも目の治療がありました。私は生まれつき右目の涙腺の具合が悪いのでした。涙腺を太くするために細い棒を涙腺に通すのです。激痛ではありませんが、かなりの痛みを伴いました。そして通したまま1時間くらいそのままにしておくのです。1時間、辛い思いで椅子に座っていたことは忘れられないことであります。定期的に通いましたが、一向に治りませんでした。結局、どのくらい通ったのかは定かではありませんが、行くのをやめてしまいました。治らないままに今日に至っています。今の治療でしたら、そんな原始的な治療ではなく、手術して治せるのではないかと思います。治らないということは、右目からはいつも涙が出てくるので、いつも涙をぬぐっていなければなりません。
涙ぬぐいは、良い時もあり、困る時もあるのです。会議等で意見を述べ合っているときに、たまった涙をぬぐわなければならないのです。話しながらもハンカチを右目に充てなければなりません。困ったのは神奈川教区の議長を4年間務めているときでした。議事運営をしながらもハンカチで目をぬぐうものですから、議場は怪訝に思うのでした。議長が泣いているということになってしまいます。いつも、言い訳をしていました。生まれつき涙腺が悪いので、涙をぬぐっているのであり、泣いているのではないと言うのでした。年に2回の総会ですから、議員も次第に分かってくれるようになり、いちいち言い訳を言わなくなりました。
これは涙が出て困る場合ですが、都合のよい場合もあります。大塚平安教会で30年間の牧会を致しました。合わせて社会福祉法人綾瀬ホームおよびさがみ野ホームの嘱託牧師をしました。教会とホームの皆さんの葬儀は100人位おられます。葬儀をしながら涙をぬぐうのは、これは不自然なことではなく、牧師は涙を流しながら葬儀の司式をしているということになるのです。都合が良いというのではありませんが、ハンカチで涙を拭いても不自然ではないということです。もちろん真に悲しみつつ司式をしています。また、喜びの時の涙拭きもあります。皆でお祝いしているときに、定期的にぬぐわなければならない涙であり、ハンカチを出しては右目を拭くのでした。うれし泣きと言うこともありますが、ここは泣くほどのことでもないのです。それなのに泣いているのですから、牧師先生は、園長先生はなんて優しいのでしょう、と思ったかなあ。
私の涙物語はこれからも続くでしょう。そのため、私は一体何枚ハンカチを持っているでしょうか。私がハンカチを必要としていることを知っておられる方はプレゼントしてくれます。いろいろな方からプレゼントされ、心から御礼を申し上げます。ありがたいことです。それと共に自らハンカチを求めます。デパート等で自ずとハンカチ売り場に足が向き、好みのものあれば買い求めてしまいます。家にはたくさんあるのにと思いながらも、楽しい柄があると手を出しているという有様です。先日も連れ合いのスミさんが箪笥の引き出しを整理して、ありすぎるハンカチに呆れていましたっけ。しかも、かなりの値がする物を持っていますので。
 しかし、涙物語の涙は自然的なものであり、心が含まれていないのです。涙には心が含まれていなければなりません。心が含まれる涙は人との出会い、触れ合いから出てくるのです。いっぱいたまったハンカチは心の涙を拭くものでありたいと願っています。
<聖書の言葉>
彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽もどのような暑さも、彼らを襲うことはない。神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである。
ヨハネの黙示録7章16節、17節)