鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

七度目の礼拝( 杖の先に寄りかかりつつ )

 
 今日は日曜日、神様を礼拝する日です。六浦谷間の集会と称して、連れ合いのスミさんとたった二人だけで始めた礼拝ですが、今日で7回目になりました。知人も出席されるので、過去6回の平均は3名になります。そして、今日は7名の出席でした。かねがね訪ねたいと言われていたドレーパー記念幼稚園の教職員の皆さん、4名の皆さんがお出でくださいました。そして追浜の娘さんと共にお住まいの大塚平安教会員の方もお出でくださいました。その方は車で10分以内の距離ですから、本当に近くにお住まいなのです。幼稚園の教職員の皆さんは電車で来られました。六浦駅から15分くらい歩くので、ご苦労なことだと思います。いつも二人きりの生活ですが、とたんに花が開いたようににぎやかになりました。すぐに礼拝を始めました。いつもはヒムプレーヤーで讃美歌を歌いますが、今日はお出でくださった方の中に奏楽者の方もおられるので、ピアノで奏楽をお願い致しました。やはりヒムプレーヤーよりオルガンやピアノでの奏楽は力強く賛美ができるようです。久しぶりに奏楽により賛美することができて感謝でした。いつもはピアノの上は飾り物の台になっていますが、今日ばかりはきれいにかたずけて、礼拝の備えをしたのです。
 礼拝が終わってから食事にしました。すき焼きをいただいたのですが、皆さんが用意してくれたので、私はあまりすることもなく、お客さんのように座って食べるだけでした。子ども達が来た時もにぎやかに食べますが、今日も一段とにぎやかな食事になりました。お話は自ずと私が在任中のことになり、あのこと、このこと等、懐かしい思いを募らせながら、お話が尽きないのでした。
 ドレーパー記念幼稚園の教職員の皆さんとは、園長と教職員の関係ではなく、共に礼拝をささげる兄弟姉妹の思いを持っていました。幼稚園では毎朝8時30分になると、保育の準備の手を休め、礼拝をささげます。礼拝を持って今日一日の幼稚園が始まるのです。讃美歌を歌い、聖書を輪読し、園長がお祈りをします。園長が不在の時は主の祈りをささげます。礼拝の内容については、今までいろいろな試みを致しました。教団発行の「信徒の友」誌に「日毎の糧」が掲載されていますので、教職員が順番に読んでいました。しかし、執筆者が変わって行き、あまり奨励にもならないことを書く人もあり、やめてしまいました。他の試みもしましたが、聖書を読むことが一番良いということで、旧約聖書創世記から始めて新約聖書ヨハネの黙示録まで読んでしまいました。旧約聖書は歴史の部分、律法の部分等、説明を要することが多く、その後は新約聖書を繰り返し読むようになったのです。讃美歌も54年版から讃美歌21に変遷したので追従していました。しかし、「こどもさんびか」を歌った方が良いことになり、CDに合わせながら賛美するのでした。朝の礼拝をささげているのですから、感謝のお祈りを捧げなければなりません。夕方4時30分には一日の導きを感謝してお祈りをささげるのです。それから残務仕事をする先生たちもいるのです。キリスト教幼稚園では、どこの幼稚園も朝の礼拝をささげていますが、必ずしも終わりの感謝のお祈りをささげない幼稚園もあります。それぞれ仕事中で、まだ感謝のお祈りには至らないとの思いがあるのでしょう。そこはひとまず手を休めて、感謝のお祈りを捧げなければならないのです。
 30年間、多くの教職員の皆さんと幼児教育に携わりました。いろいろな出会いを与えられています。あまり大きな声では言えませんが、先生達は自分だけが園長先生に愛されている、とひそかに思っている先生が多いようです。みんな同じように愛していたのですが。連れ合いのスミさんも皆さんから「スミ先生」と慕われ、ドレーパー記念幼稚園の教職員の皆さんとのお交わりは生涯の宝物なのです。
私達夫婦はドレーパー記念幼稚園、教職員、卒業生を覚えて祈り続けるでしょう。
<聖書の言葉>
信仰によって、ヤコブは死に臨んで、ヨセフの息子たちの一人一人のために祝福を祈り、杖の先に寄りかかって神を礼拝しました。
ヘブライ人への手紙11章21節)