鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

帽子考( 清いかぶり物をいただきつつ )

 
 寒さが増し加わって来るようになり、散歩に出るときは帽子をかぶるようになりました。「父の日」に、子供たちがプレゼントしてくれた帽子が今になって役だっているのです。やはり帽子をかぶると頭が温かいのです。もともと普段は帽子をかぶって外出しませんでした。それでも登山やハイキングには帽子をかぶって行きます。以前、かぶっていた帽子は、登山用にかぶるようにしていましたが、幼稚園の野外散策には帽子をかぶって先頭を歩きます。その帽子が、昔、子供向けテレビ番組の「のっぽさん」がかぶっていた帽子に似ているので、「エンチョウセンセイ、ノッポサンミタイ」と喜んで後に従うのでした。その後、丹沢の鍋割山に登った時、うっかり頂上の山小屋に忘れてきてしまいました。その後、行く機会がないのでそのままになってしまいました。似たような帽子をかぶってはハイキングをしていましたが、引越しで帽子をどこにしまったのか、いまだに出て来ないのでした。子供たちがプレゼントしてくれた帽子は夏用で日差しよけが大きくついているので、夏には良いと思っていましたが、生地が厚手なので冬用としては防寒になるのでした。
数日前、その帽子をかぶって散歩に出ました。寒風が吹き、しばしば飛ばされそうになりました。帽子を押さえながら歩いていましたが、コンビニに寄った時、ニット帽子があったので買い求めました。最近、このニット帽子をかぶっている人をよく見かけます。やはり温かいからでしょう。しかし、似たような人が多く歩いているという印象です。耳まで隠れて温かさ抜群でした。しかし、この帽子は締め付けられるようです。もともと私の頭は人様より大きいものですから、普通サイズでは小さいのです。頭が大きいだけ、頭の良さがたくさん入っていればよいのですが、それは結びつかないようです。
箪笥の引き出しに入れた物を捜していましたら、思わぬ物が出てきました。帽子です。もう30年以上昔になりますが、宮城県の陸前古川教会の牧師をしながら登米教会の牧師を兼任することになりました。古川の教会から車で1時間かかります。午前中は陸前古川教会で礼拝をささげ、午後3時から登米教会の礼拝になります。いつも家族で登米教会を行き来していました。その登米教会の婦人が帽子を作ってくださったのです。ロシアの人たちがかぶっている帽子です。黒い毛糸でモコモコであり、本当に温かい帽子でした。深くかぶれば耳まで隠れてしまいます。今まで、幼稚園の卒業遠足・雪遊びに行くときにはかぶりましたが、普段は用いませんでした。今日はその方を思い出しつつ散歩に出かけたのでした。ニット帽子のようにきつくもなく、風に飛ばされることもなく、温かさをしみじみと喜びながら散歩したのでした。冬の間は愛用の帽子になりそうです。今までほとんど使用しなかった帽子を、牧師を退任してから使うようになったのですから、感謝と言う他ありません。
宮城県の教会にいる頃、幼稚園に関しては設置者としての責任であり、教会としても少人数の教会員でしたので、それほど忙しい職務ではありませんでした。時間が結構あるものですから、子供を連れて遊びがてらパチンコ屋さんに行ったものです。今のような状況ではないと思います。だから、結構子供連れが遊びに来ていました。そこで、偶然というか、知り合いのカトリック教会の神父さんと出会ってしまいました。「やあ」と言い、「出ますか」と神父さんは笑いながら言ったものです。その神父さんも暇を持て余しているのかな。「出ますか」という意味を、しみじみと噛み締めました。他の人が言うのではなく、神父さんが言うのですから、「出る」とは「信者」がということになるのでしょう。
しかし、よくも堂々とかぶり物をせず、パチンコ屋さんに行ったと思います。今だったら、ロシア帽子を深々とかぶり、マスクをして人目を避けるようにしていくのですが。
<聖書の言葉>
御使いは言った。「この人の頭に清いかぶり物をかぶせなさい。」彼らはヨシュアの頭に清いかぶり物かぶらせ、晴れ着を着せた。
(ゼカリヤ書3章5節)