鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

家族の一員( 猫までやってきて )

 
 夕方といっても、まだ明るいうちですが散歩に出かけました。歩いていると、前方の家の路地から黒い猫が顔を出しています。右を見て左を見て、そしてまた右を見て、車の来ないことを確認すると、さっと道路を横切って行きました。交通安全を心得た猫だなあと感心しました。幼稚園で交通安全教室を開くと、教えられることは横断歩道の渡り方です。渡る前に立ちどまり、右手を挙げ、右見て左見て、そしてもう一度右見て、車が来てないことを確認して、手を真直ぐ上げながら渡るのです。この黒い猫はどこで交通安全の講習を受けたのでしょう。最近の猫は交通安全を心得ているようです。昔は車に轢かれる猫が結構いて哀れでした。猫は縁の下に飛び込むと言われ、車の下に飛び込んでしまうのです。でも今は交通安全の情報が猫社会でも流されているのでしょう。
 夜になってテレビの「わんにゃん」という番組を見るともなく見ていました。平岳大さんという俳優が猫を飼っているので、猫にまつわるお話をしていました。そうか、今日のテーマは「猫」だなあと思いました。毎日、ブログを書いていますが、何を書くか、いつも課題としています。胸に響くことがあると、シナリオがさっとできあがります。しかし、何も響かない時もあり、そういう時は何も書かないで寝てしまいます。翌日になると、昨日は響かなかったのに、しきりと思い当たることがあったりするのです。
 犬のお話は何回かこのブログに書いています。実は私の動物との触れ合いは猫でした。私が小学生の頃だと思いますが、いつの間にか物置小屋に野良猫が子供を産んでしまいました。しばらくたってから気が付くのは、子猫の泣き声を聞くようになったからでした。時々見かける猫でしたので、知らない縁でもなく、そのままにしてあげていました。それどころか、家族が代わる代わる子猫を見に行くのです。私たちと顔見知りの猫は、最初は身構えていましたが、私たちが子猫を抱いても怒りませんでした。こうして野良猫は家猫に変わって行ったわけです。子猫たちが成長するにつれて家の中にまで入ってきて、3、4匹が家中をかけずり回っていることもありました。私が神学校に入っても、まだ猫がいました。数日前に家に帰った時、タマ(最初の野良猫)が病気というか老衰というか、箱の中でぐったりしていました。その後なんとなく心配で、授業を休んで家に帰りました。タマは静かに生きていました。その後、数日後に死んだということで、タマと仲良く過ごしてきたので、悲しかったことは言うまでもありません。約15、6年は猫と共に過ごしたことになります。ある時、かなり成長した病気の猫が、外出から帰った私のもとに、よたよたしながら近づいてきましたので、両手に入れて抱き上げようとしましたら、両手の中で息を引き取ったのでした。いつも一緒に遊んでいるお兄ちゃんを待っていたのでしょう、と家族が言うのでした。
 猫のことを書くと枚挙にいとまがないほどですが、宮城県の教会にいる時にも猫を飼うことになりました。「クロ」と名前を付けるほど、黒が多く、ところどころ白い部分もありました。小さかった子供たちの楽しい友達でした。それが、宮城沖地震が起きた時以来いなくなってしまったのです。小さなリビングにピアノが置いてあり、その近くの椅子に丸くなって寝ていたのです。地震後、リビングを見るとピアノが部屋の中央まで動いていました。クロにとって恐ろしい、死ぬほどの経験を持ったのでしょう。あるいは負傷したのかもしれません。猫は死に場所を隠すとも言われています。
 綾瀬にいる頃、飼っていたノアのために犬小屋を作りました。それは処分しないで、六浦の庭の隅に置いています。もしかしたら、ここに猫が住み着くかも知れないと思っているからです。この小屋で子猫が産まれたら、歴史は繰り返すと言われていますので。
<聖書の言葉>
その体や頭の上を(偶像)、こうもりやつばめ、小鳥が飛び交い、猫までやってきます。このようなことで、それらの像が神でないことは分かるはずですから、恐れてはなりません。
旧約聖書続編・エレミヤの手紙21節、22節)