鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

トンカツ屋さん( 神様がお造りになったものとして )

 
 部屋の整理ということで、先日も棚を組み立てたりしましたが、もう少し整理することにして材料を買いに行きました。再開したトンカチというホームセンターです。棚板を数枚、その他の部品を購入しました。帰りはダイエーにより、スミさんの要望でノジマ電気でテレビの録画用のDVDを求めたりしました。丁度、お昼時なので食事をすることにしましたが、以前にも入ったことがあるトンカツ屋さんでした。鎌倉とんかつ「味武蔵」という店でした。食べながら、つらつら思ったことは、どうも連れ合いのスミさんとはトンカツで結ばれているのではないか、ということでした。そもそも最初の出会いがトンカツから始まったのですから。それが今でも続いているとは驚きでもあります。
 私達が出会うのは、私が神学生の卒業年度であり、スミさんは明治学院大学の職員でした。私の友人、スミさんの友人の関わりがあって私達の出会いとなったのです。最初に出会ったのは渋谷でした。喫茶店で友人に紹介され、その後は二人で外苑を散策したりしているうちに夕刻となり、食事をすることになったのです。その時、入った店がフランセ奥野ビル地階にある蓬莱亭というトンカツ屋さんでした。そこで食べたトンカツはとても美味しく、なかでも長崎カツは蓬莱亭のお勧め品でした。これはひれのひき肉をメンチカツ風に仕上げたものです。珍しいトンカツであり、美味しくいただきました。初めての出会いがトンカツであり、その後もトンカツが続くとは夢にも思いませんでした。
 私は目白の日本聖書神学校の寮にいました。スミさんは明治学院の近くに住んでいました。スミさんが神学校に来るには山手線の目黒から来ることになります。スミさんは日本聖書神学校の指導者養成講座に出席したりして、神学校への道はよく心得ていました。デイトと言えば、神学校に来るのは人目もあり、もっぱら私が目黒に出かけることでした。目白駅から目黒駅に出かけること、白から黒へと、あまり意味深く考えませんが。駅前にトンカツ・「とんき」という店があり、よくそこで食事をしたものです。この店のトンカツも美味しかったことが忘れられません。この店はトンカツの衣が秘伝のようです。そして「たれ」も独特でした。結構人気があり、いつも混み合っていました。一体、何回この店で食事をしたのでしょう。
 こうして私達の出会いはトンカツでありますが、まだまだトンカツ物語は続くのです。青山教会時代、陸前古川時代においてはトンカツの思い出はありませんが、綾瀬に来ると再びトンカツ物語が始まるのです。相模大塚駅の近くにトンカツ「悦」という店ができました。教会の近くにある不動産屋さんの主人が経営していたので、最初は義理で出かけました。ところがとても美味しいものですから、何かと出かけたのです。そのうち、近くに場所を移して営業するようになり、転居してからも行くようになりました。幼稚園の教職員の感謝会等にも利用したのでした。鶴間に出かけることがあり、懐かしいトンカツ「とんき」の看板を見かけました。それで、早速スミさんと二人で出かけたのです。「とんき」で働いていた人が店を出したのでしょう。しかし、目黒で味わった物とは異なると思いました。その後、子供たちを連れて行ったことがありますが、その後は行くことはありませんでした。
 ダイエーの中にあるトンカツ屋さんのトンカツをいただくこと3回目くらいでしょう。トンカツ屋さんはキャベツ、ご飯、味噌汁のおかわりができますので、ありがたいです。最もこの年齢になるとあまり食べられないのですが。トンカツから始まりトンカツで終わるのかな。
 どうも私達は最初からトンカツで結ばれているのですが、いったいこれはどうしてだろうと思いました。つらつら思う時、思い当たったことは、連れ合いのスミさんのお母さんの名前が「カツ」さんなのです。どうやら、そこが根源なのかなあ。
<聖書の言葉>
この食物は、信仰を持ち、真理を認識した人たちが感謝して食べるようにと、神がお造りになったものです。
(テモテへの手紙<一>4章4節)