鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

讃美歌物語・母の巻( 賛美の歌をうたいなさいと )

 
 六浦谷間の集会、新年の二回目の礼拝は連れ合いのスミさんとたった二人だけの礼拝でした。前週2日は我が家の子供たちが出席したので5人の礼拝でした。次週16日はドレーパー記念幼稚園の教職員数人がお訪ねくださるので、楽しみにしています。今日の礼拝の聖書は、イエス様の洗礼がテーマでありました。まず旧約聖書ヨシュア記によってメッセージが導かれます。イスラエルの人々がヨシュアに導かれてヨルダン川を渡る場面です。荒れ野を彷徨いつつ、ようやく約束の土地カナンを目の前にしました。しかし、ヨルダン川を渡らなければなりません。川の水嵩はあふれんばかりです。どうして良いかを分からないままに、ヨルダン川を目の前にして三日過ごしました。しかし、いつまでもこうしている訳にはいかないのです。とにかく前進することです。ヨルダン川を目指した時、神様の御声を示されるのです。神様はヨルダン川をせき止めました。人々は干上がった川底を歩いて向う岸に渡ったのでした。まさに水からの救いです。これで二度目になります。紅海をわたった時です。こうして旧約聖書は水からの救いを意味深く示しているのです。新約聖書ではヨハネが洗礼を授けていますが、そのヨハネからイエス様が洗礼を受けるのです。一人の人間として、イエス様ご自身も神様の水からの救いを受けたのであります。この水からの救いに、真に人間の罪の救いを与えられたのが主イエス・キリストの十字架の救いであります。
 今日の説教を要約して記しました。説教後の讃美歌は、洗礼式のときに歌う讃美歌21の67番(54年版は199番)でした。礼拝が終わった時、連れ合いのスミさんがこの讃美歌を歌って、自分の洗礼式を思い出し、また今日まで、多くの皆さんの洗礼式が思われたと話すのでした。大塚平安教会では昨年3月7日にお二人の方の洗礼式が執行されました。そして、横浜本牧教会では5月23日のペンテコステ礼拝でお二人の方の洗礼式がありました。洗礼式の讃美歌を歌うと、まさにいろいろな方々の洗礼式が甦って来るのでした。
 讃美歌は神様に向けてささげるお祈りでありますが、讃美歌を歌う時、関わる人々を思い出すのです。実は1月3日は私の母・ハナさんの誕生日でした。母については、私を教会学校に連れて行ったことなど、このブログにも記していますが、母と讃美歌も忘れられない思い出があるのです。母は54年版讃美歌の312番「いつくしみ深き」を好んで歌っていました。それは姉たちが教えた讃美歌でもあるのですが、一人で針仕事等をしながら口ずさんでいました。しかし、母が覚えた最初のこの讃美歌は1931年版でありました。その時の歌詞は、「母ぎみに勝る/ともや世にある/生命の春にも/老いの秋にも/優しく労り/いとしみたまふ/母ぎみに勝る/ともや世にある」です。二節は「母ぎみに勝る/ともや世にある/ゑまいも涙も/ともにわかちて/夕べの祈りに/こころをあわす/母ぎみに勝る/ともや世にある」です。1931年版は私が中学の頃まで歌っていました。そして1954年版になるわけですが、母にとって「母ぎみに勝る」の歌詞が讃美歌との出会いであったのです。母が危篤の時、長姉の美喜子が付き添っていましたが、長姉は312番を母の耳元で歌い続けたと述べていました。信者ではない浄土真宗の信仰に生きた母ですが、姉二人のキリスト教信仰を受け止め、そして私を教会学校に連れて行ったのです。讃美歌312番をこよなく愛し歌っていた母です。母が亡くなり、自宅にて浄土真宗の葬儀を行いました。友人の牧師達も7、8人来てくれましたので、通夜式が終わった時、牧師達に頼み、棺の前で讃美歌312番を歌ってもらいました。さすがに牧師達はベース、テナーを歌いながら、母への献歌としてくれたのでした。お清めで横のテントで食べていた人たちは、何事かと注目していたようです。讃美歌の最後に「アーメン」と唱和したのですから、仏教の葬式に讃美歌が歌われる不思議な光景を見ていたのでした。
<聖書の言葉>
あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌を歌いなさい。
ヤコブの手紙5章13節)