鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

家を建てる( お導きに委ねつつ )

 
 今日の散歩はお休みしました。残念ですが、疲労があり出かける気にはなりませんでした。今日は二つの作業をしたからです。一つは台所のIHヒーター付近に棚を設置することでした。どうも雑然としているので、棚を作れば台所用品を収納できるのです。既製のものですが、簡単に組み立てられました。しかし、いろいろな物を動かすので、結構大変でした。もう一つの作業はダイニングにキャビネットを置くことでした。組み立てキッドを注文しておきましたので、今日の午前中に配達されました。午後から組み立てて完成です。これにより随分とすっきりしたようです。それにしても昨年の4月に転居しましたが、調度品を幾つも作りました。いずれも組み立てキッドになっているので、図面を見ながら組み立てればよいのです。キャビネット3台、戸棚2台、本棚3台、移動式本棚6台、机2台という具合です。今の組み立て品はよくできていて、簡単に組み立てられますし、出来栄えも結構よろしいようです。
 5年前に家を新築しました。今までの家は60年も経ていて、危険な状態にもなっていました。しかし、古い家の時代、何かと作業ができるので、楽しい思いをしました。屋根はトタン屋根であり、大分禿げてきたので、ペンキ塗りをしました。夏の暑い盛りであり、百合子と共に汗を流しながらのペンキ塗りは楽しいものでした。それから雨戸も痛みが激しく、とりあえずペンキを塗ったのですが、廊下が6枚、窓が6枚、全部で12枚の雨戸です。家の中の壁も崩れていたり、汚れているので、壁紙をはりました。結構手間取る作業でした。そして、今度は襖の張り替えです。昔の家は襖が多く、10枚の襖の裏表を張り替えたのです。古い家ですから、修理する所が際限なくあり、楽しいものでした。私の友人の牧師は器用な人で、自分の家を一人で建て替えてしまいました。結構、年数を要しましたが、今年はリビング、去年は6畳の部屋と、少しずつ建て替えたのです。連れ合いのスミさんが言うには、いずれ私も建て替えるに違いないということでした。友人のようには建て替えることはできないのですが。
 家を新築したとき、私は66歳でした。その前に、この家は借地でしたので、購入することになりました。父は地主さんと借地契約をする時、父と共に私の名前の連名で契約をしていました。そのため父が亡くなって数年後に30年の契約期間が終了するにあたり、地主さんが借地か買い取りかの打診をしてきたのです。60年の借地権があり、買い取りにしても半分の代金です。このまま借地を続けるより、買い取ってしまった方が得になります。しかし、買い取ると言ってもお金の都合があります。それで、教会にお願いして、退職金の前借りをしました。いくらかの蓄えや生命保険からの借り入れ等でどうにかお金をそろえることができました。65坪で1300万円位でした。父が亡くなってからは、毎年の初めに1年間分の地代を地主さんに払いに行っていました。それが無くなったことも、ホッとした思いでした。そして、今度は家の新築になります。いずれは建て替えなければと思っていました。丁度、羊子がスペインから帰国していた時でした。新聞のチラシを見ているうちに、手ごろな新築の案内がありました。連れ合いのスミさんや羊子に話すと、すぐにモデルハウスを見に行くことになったのでした。モデルハウスと事務所は大和の外れの方にあり、いろいろ説明を聞くうちに気持ちが傾いてきたのです。そして、ローンを組むにしても66歳が最後だということでしたので、ついに決心したのでした。50坪のモデルハウスの大きさにしようと思っていましたが、資金計画が無理なので40坪の家にしたのでした。よいときに決心したと思います。この時を逃したら家を建て替えることは困難であったかも知れません。
 それにしても私達は恵まれています。牧師になって、隠退する人たちは住居が課題になります。故郷に戻って生活できること、神様のお恵みであり、お導きであると感謝しているのです。
<聖書の言葉>
主御自身が建ててくださるのでなければ、家を建てる人の労苦はむなしい。
詩編127編1節)