鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

日本点字図書館( 神様の御業が現れて )

 
 本日、午後8時からNHK教育テレビで「日本点字図書館70周年創設の苦難」と題して、本間一夫さんの歩みが紹介されていました。本間一夫さんとはお会いしたことはありませんが、お手紙をいただいておりますので、これはぜひ見なければならないと思ったのです。本間一夫さんが日本点字図書館を創設されたのは1940年であり、私の誕生が1939年でありますから、ほぼ同じ歴史の歩みであり、少しく関わりを持たせていただいていることも感謝であるのです。従って、2010年は日本点字図書館の70周年ということでありました。本間一夫さんは1915年に生まれ、2003年に亡くなられましたが、日本点字図書館の設立や見えない人々へのさまざまな働きが残されています。また、見える人々もこの働きに招かれ、共に生きることが導かれているのです。とても貴い、大きなお働きをされたのであります。
 私が日本点字図書館に関わるのは二十歳頃かと思います。点字の世界を知り、点字を覚えて点訳奉仕をしようと思いました。日本点字図書館が通信教育で教えてくれるのです。もともと盲人の方とはお会いしたこともなく、また実際に点字を読まれている人とお会いしたわけでもなく、点字を習うものの現実感がなかったようです。従って、なかなか修了には至りませんでした。そうこうしているうちに23歳になって神学校に入学することになり、点字の習得から離れてしまったのでした。図書館からは時々、いろいろなお知らせや募金の依頼がありましたが、募金については両親に託しました。その後は神学校で勉学し、そして卒業してからは青山教会、陸前古川教会、大塚平安教会の牧師を歴任していました。姉の美喜子が召天し、残されたものを整理していると、日本点字図書館からの募金依頼が姉宛に届いていることを知りました。姉が募金に応えてくれていることは聞いたことがあります。神学校に入る時、募金を両親に託したのですが、両親は募金に応えていたのです。そして、その後は姉が引き受け、毎年献金していたのであります。姉宛の募金依頼を読み、振替用紙に、姉が召天したので、今後は弟が献金することを記して送金したのでした。すると、日本点字図書館から領収証とお礼状が送られてきました。「鈴木様からは、最初は政次郎様のお名前で、そしてその後は美喜子様のお名前で、そしてさらに今度は弟様のお名前でご献金くださること、今回で45回目であります。誠にありがとうございます。とても感動しております」と記されていました。感動したのは私でした。なんとなく募金依頼を両親に託し、神学校に入ってからは点字とは縁が切れたように思っていたのです。一年に一回の募金要請ですから、45回目は45年間続いているということなのです。昨年の2010年で50回目ということになるのでしょう。そのお礼状と共に本間一夫さんのお手紙がありました。点字で書かれていますが、文字で読めるようにしてありました。今では貴重なお手紙なのですが、残念ながら整理してしまっているでしょう。
 この関わりについて、幼稚園の「ドレーパーだより」の巻頭言に記しました。本間一夫さんの貴い働きを紹介するためでした。この「ドレーパーだより」は幼稚園と卒業生を結ぶ新聞で、毎年一回発行しています。発行してから間もなくお手紙をいただきました。一人の卒業生からでした。なんと、その日本点字図書館に勤めているというのです。卒業生は図書館の皆さんに「ドレーパーだより」をお見せしたということでした。それで、連絡を取り、その卒業生と高田馬場でお会いしたのでした。日本点字図書館は早稲田にあり、その早稲田には日本基督教団の事務局があり、常に高田馬場駅を乗り降りしていたのですから、これも不思議なお導きです。
 日本点字図書館や本間一夫さんのお働きはネットで検索すれば詳しく知ることができます。一つの目標に向かって、人生をささげた姿に深く教えられます。神様は分け隔てなく人を選び、神様の御用へと導いて下さるのです。
<聖書の言葉>
神の業がこの人に現れるためである。わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わなければならない。だれも働くことのできない夜が来る。
ヨハネによる福音書9章1節以下)