鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

換骨奪胎 ( キリストに倣いて )

 
 テレビが「コロッケのワンマンショー」を放映していました。コロッケさんと言う物真似家がいろいろな人の真似をして歌ったり演じたりしていました。真似られる人を知らないので、似ているのかどうかは判断できませんでしたが、それでも何人かの歌手は知っているので、上手だなあと思いました。圧巻は100人の物真似を続けて行ったことでした。次から次へと、よくも特徴をつかんで真似ができるものだと感心しました。
 真似るということがありますが、似ているということもあります。真似ている訳ではないのですが、似ているということもあるでしょう。似た人がいるものです。これも「そっくりさん」とかの番組で見たことがありますが、世の中には本当にそっくりさんがいるものですね。しかし、誰かに似ていると言われることは、あまり気持ち良いものではありません。私は私であり、誰かさんではないからです。似ているにしても自分と言う存在は、他の何者でもないのです。昔、日本の敗戦と共にアメリカ人が横行するようになりました。初めて見るアメリカ人は皆同じ顔をしていると思いました。見慣れない人を見ると、みな同じに見えてしまうのです。今でも外国人に対して、そんな思いがないではありません。
 真似るということは大切なことです。人間はまず真似ることから始まるのです。そして、次第に自分の世界を作り上げてゆくのです。しかし、真似たままで自分を出さないこともあります。それが贋作というものです。贋作については歴史を通して物議が醸し出されており、本まで出版されています。いろいろな物語もあり、興味が注がれます。
 ところで自分自身を見つめるとき、今は自分であると思いますが、若い頃は自分の世界には行きつかず悩みました。牧師は説教に命を掛けています。どのようにみ言葉に向かい、説教として語ることができるかについて、絶えず課題としているのです。育った教会は清水ヶ丘教会であり、倉持芳雄牧師に育てられました。神学校に入り、説教学や牧会学を学ぶようになると、倉持牧師の説教を批判的にとらえるようになりました。先生の説教は、もちろん釈義をされて神様の御心を示してくださっていましたが、一般的なお話が多く、人々の関心を買いますが、これでいいんだろうかと思ったのです。神学生として生意気になったからです。しかし、時々思うことは、先生の説教に似ているということです。いつの間にか先生のような説教をしていることに気づくのでした。それから、もう一人の先生の説教にも似ていると思いました。神学生の頃、曙教会に奉仕教会として出席していました。旧約聖書の教授である新屋徳治先生がその教会の牧師でした。2年間、曙教会に出席し、新屋先生の説教に養われたのでした。神学校を卒業して、自らが説教をするようになった時、連れ合いのスミさんが、私の説教が新屋先生に似ていると指摘するのでした。どうしても似てしまうものです。従って、私の説教には倉持先生と新屋先生の説教の取り組みが入っているのでしょう。しかし、この年になって、今は私としてのみ言葉に向かう姿勢を与えられています。それは説教集「最初の朝餐」で示しているように、私の説教は常に旧約聖書を原点としているのです。旧約聖書から普遍的御心を示され、新約聖書の証しで展開しているということです。
 日本基督教団の牧師になるには教師検定試験を受けます。その時、説教を提出することになっています。その中で、一人の受験者がある人の説教をそのまま写して提出しましたが、露見してしまいました。今はネットによりいろいろな牧師の説教を読むことができます。写した説教は、たまたま試験官の説教であったからでした。
 もう無任所教師となり、教会の講壇に立って説教することはなくなりましたが、まだ説教に向かっています。このブログも、つい説教ぽくなってしまうんだなあ。
<聖書の言葉>
わたしがキリストに倣うものであるように、あなたがたもこのわたしに倣うものとなりなさい。
(ローマの信徒への手紙11章1節)