鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

祝クリスマス ( その名はインマヌエルと呼ばれると )

 
 主イエス・キリストのご降誕を心からお喜び申し上げます。イエス様はこの世に出現し、神様の御心を人々に宣べ伝えました。人々はその教えを喜びつつも、イエス様を真に救い主として確信できませんでした。そして、時の指導者達の妬みにより十字架にかけられてしまうのであります。しかし、神様は人間の根本的な罪、自己満足、他者排除をお救いになるため、十字架の死を神様の御心とされました。イエス様の十字架の死と共に人間の根本的な罪を滅ぼされたのであります。十字架による救いをお与えになったのであります。私たちは十字架を仰ぎ見ては、私の罪なるものが十字架によって滅ぼされたと信じるのであります。
 このまま進むと説教になってしまいます。このように記したのは、送られた一枚のクリスマスカードを読み、改めて飼い葉桶と十字架の結びつきを示されたからです。そのカードには飼い葉桶が描かれていますが、飼い葉桶の中に十字架が横たわっているのでした。十字架を目指してお生まれになったことを現すクリスマスカードでありました。このようなカードはあまり見ることはありません。クリスマスカードと言えば、馬小屋の飼い葉桶に安らかに眠るイエス様であり、やさしく見守るマリアさんとヨセフさん、羊飼いや博士達でありました。またはトナカイにソリを牽かせるサンタクロース、クリスマスツリー等が描かれたカードです。
 皆さんからクリスマスカードをいただき感謝しています。一枚一枚拝見しながら、そして記されている皆さんのサイン、お顔を思い浮かべながら拝見したのでした。そして、この一年、皆さんとの出会い、お交わりを示されたことも心に強く示されています。私たちに取って2010年は激動の一年でありました。何よりも長年牧会してきた大塚平安教会の退任であります。合わせてドレーパー記念幼稚園の退任であります。30年間は本当に長い歴史を歩みました。皆さんとのお別れの集いが、今でも鮮明に示されています。それが3月末のことでありました。4月からはゆっくり過ごそうと思っていました。10月に開催される日本基督教団の総会で、8年間担ってきました総会書記を退任しますので、それまでは隠退できません。無任所教師として過ごすつもりでいました。ところが横浜本牧教会の後任に決まった森田裕明牧師が10月にならないと赴任できないということで、4月から9月までの間、代務者として担うことになったのでした。横浜本牧教会の代務牧師、また附属の早苗幼稚園の園長としての務めもあり、職務を担っているうちにも、あっという間に9月が終わりました。この横浜本牧教会の皆さん、早苗幼稚園の皆さんとの新しい出会いも喜びでした。10月からは無任所教師となりましたが、月に一度、横須賀上町教会の講壇に立つご用が与えられています。いわば激動の一年でありましたが、なんと4人の方が洗礼を受けられたことは大きなお恵みでした。
 昨日は聖夜礼拝でした。今までもそうでしたが、24日に集中し、25日は何もしませんでした。大塚平安教会在任の頃、25日に外来者があり、今日は何かないのですかと尋ねられます。25日こそクリスマスだからです。教会によっては、改めてクリスマス礼拝をささげますが、聖夜礼拝をもってクリスマスが終了する教会が多いようです。不謹慎な言い方ですが、それまではいろいろなクリスマスの集いがあり、これ以上クリスマスの集いはできないということでした。25日が日曜日の場合、聖夜礼拝があり、最後の締めがクリスマス礼拝と言うことになります。その日程も大変でした。クリスマスは本当に忙しい日程ですが、お祝いなのですから、どんなに忙しくても喜びなのであります。
 連れ合いのスミさんは、大塚平安教会の聖夜礼拝に出席し、その夜は百合子の家に泊まり、今日の夕刻に帰ってきました。金沢八景駅まで車で迎えに行き、駅前に肉屋さんがありましたのでローストチキンを買いました。夕食は改めて二人でクリスマスをお祝いしたのでした。
<聖書の言葉>
見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は、「神は我々と共におられる」と言う意味である。
(マタイによる福音書1章23節)