鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

聖夜を迎える ( この方こそメシアであると )

 
 24日は聖夜礼拝であり、例年ですと、朝から準備をしていました。ほとんどの準備は教会の皆さんがしていますが、最終的にしなければならないことが結構あるのです。そして、午後4時頃には聖歌隊が集まり練習が始まります。6時には婦人会が用意した軽食をいただき、午後7時には開会です。いつも思うことは、7時から始まるのに、どうして皆さんはその時間に来ないのでしょう。開会時はまだ空席が目立つのです。しかし、終わってみれば満席ということです。まあ、それぞれの都合があるのですから、気にする必要はありません。
 30年前、1979年9月に赴任して、最初に迎えたクリスマスは思いで深いものでした。思い違いで翌年かもしれません。とにかくその頃、長内敬一神学生がいて、企画等はお任せしました。まず、大きなクランツを作り、礼拝堂の中心の天井からつるしました。そして、その下に、これもまた大きな飼い葉桶を置いたのです。赤ちゃんを寝かせることのできる大きさでした。そして、その周りには衣装をまとった羊飼いや博士たち、天使たち、羊たち、そしてヨセフさんとマリアさんが飼い葉桶を見つめながら侍っているのです。その周りを会衆が座るのでした。ページェントさながらの光景でした。その頃からステンドグラスを窓にはめたと思います。その時は紙にセロファンを施したまま画鋲でとめていました。何年かしてから、渡辺魁さんが木枠を作り、固定的なステンドグラスにしたのでした。今でもクリスマスになると窓に飾られるので、懐かしく思うのですが、今年はその懐かしさに触れることはありませんでした。
 赴任したころは「燭下礼拝」または「キャンドルサーヴィス」と称していました。最初からロウソクの光の中で行いました。教会のベンチの背には聖書や讃美歌を置くテーブルが付けられています。下をホイルで保護したロウソクを手にするわけですが、会衆の中には、特に子供たちは器用にホイルを燭台にしてテーブルに置いてしまうのです。すると前に座っている人の髪の毛を焼いたり、背広を焦がしたりする事故が起きるようになりました。燭台にして置くのは禁止するのですが、後を絶たないようです。それで、ロウソクに点火するのは最後の讃美歌、「きよし、この夜」、「もろびとこぞりて」等を歌う時としました。その時は立って歌うので、ロウソクをもつことになります。それまでは中央の電灯はつけず、両壁の電灯のみにしていました。そうすると、キャンドルサーヴィスの意味合いが薄らぐ思いです。そのため「燭下」「キャンドル」の概念を取り去り、「聖夜」に重きを置くようになったのでした。「聖夜礼拝」で主イエス・キリストのご降誕を感謝し礼拝をささげるようになったのであります。今年も聖歌隊の皆さん、会衆の皆さんが高らかに賛美をささげられたことでしょう。
 連れ合いのスミさんはまだ大塚平安教会員でもあり、皆さんと共に聖夜礼拝のお恵みをいただきたいと、今日は出かけて行きました。私はと言えば、いろいろな思いがある中で、良い機会であるから関東学院教会の「イブ礼拝」に行こうかなと思っていました。数日前に郵便ポストに案内のチラシが入っていたのでした。関東学院教会と言えば、私が小学校3年生の時から教会学校に通っていた教会です。そのきっかけについては他にも記していますが、母の導きでした。母が入院している時、6月の花の日関東学院教会学校の子供たちが、母を見舞ってくれたのです。見ず知らずの子供たちからお見舞いを受け感動した母は、退院するや私をその教会学校に連れて行ったのでありました。私のキリスト教との出会いがここから始まるのです。もっとも、二人の姉たちが清水ヶ丘教会に出席していましたので、始まりはそこにもあります。今まではもちろん、関東学院教会に行く機会はありません。その意味で、「イブ礼拝」に出席をしようかなと思っていました。結局は出かけませんでした。また何かの導きがあるでしょう。
 スミさんは聖夜礼拝に出かけ、リスのシュータは熟睡しています。「静夜」だなあ。
<聖書の言葉>
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそメシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。
ルカによる福音書2章11節、12節)