鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

野島山散策 ( 主の言葉は永遠に変わることなく )

 
 今日は小春日和を思わせる暖かい日でした。そう言えば今日はお休みの日です。今はお休みも週日も変わりないのですが、やはりお休みとなると出かけたくもなります。それで、今日は野島山に出かけることにしました。以前、野島に出かけましたが、野島山を一周しての散策でしたので、今日は野島山を目指しました。午後2時頃に出発しました。関東学院を右に見ながら歩き、夕照橋を渡ると野島です。家から45分くらいでしょうか。野島は中心が公園となっており、公園の中にあるのが野島山です。ゆるい坂を上ること10分くらいでしょうか。久しぶりに山登りをしている気分になりました。上から下りてくる人に、思わず「こんにちは」と挨拶すると、びっくりしたように頷くのでした。ここは山でもないし、だれも挨拶はしないようです。でも次に下りてきた人は大きな声で挨拶を返してくれました。登山をしていると、人と会えば必ず挨拶があります。しかし、休日に登山をすると人が多く、絶えず挨拶をするので、それも煩わしくなることもありました。でも、山での挨拶は気持ちよいものです。
 頂上には展望台があり、360度の展望でした。千葉の房総半島が見えます。三浦半島 では大楠山、鷹取山観音崎、夏島などが見られました。丹沢山系、富士山、円海山等も見えます。近くでは横浜市立大学横浜市立大学医学部付属病院、ベイブリッジ称名寺等を見ることができました。今日は雲もなく、景色を見るのには良い気候です。野島山と称していましたが、正式には野島貝塚と言うそうです。標高53メートルの低い里山です。貝塚に指定されたのは平成2年11月ということでした。縄文時代の遺跡とか。マガキ、オオヘビガイの遺跡等が見つかっているそうです。横浜市の指定史跡ということでした。従って、20年前に野島貝塚となったということです。昔の記憶があるので、新しく造られた歴史との思いがありました。
 昔は公園として整備されていませんでしたので、上まで昇れませんでした。山を下りて海岸に石段があり、しばし昔を思い出していました。野島と言えば海水浴、アサリ堀、あるいは魚釣りで出かけたものです。綾瀬に転居してから、時には実家に出かけ、子供たちを魚釣りに連れてきたのがこの野島海岸でした。魚の餌は「ごかい」で、ムカデのようで気持ち悪いのです。だから子供たちは針に餌を付けることができません。それで私が順次餌を付けてあげます。三人の子供の餌を付け、さて自分の釣り竿に餌をつけようとすると、餌が食べられてしまったと言うので、また付けてあげます。付けてあげると、また別の釣り竿に付けてあげなければならず、結局、私は餌ばかり付けて、自分が釣りを楽しむことはありませんでした。また、アサリ堀に来たこともありました。この海岸は遠浅で、引き潮になると、アサリ堀が楽しめるのです。子供たちはたくさん収穫したと思いましたが、アサリはいくらもなく、食べられない貝が多かったようです。でも掘る楽しみを堪能することができたのです。石段に座り、満潮になっている海を見ながら、昔のことなど思いめぐらしていました。
 それにしても野島は随分と変わりました。こんなに住宅もありませんでしたし、公園もありませんでした。今は青少年のセンターがあり、キャンプ場、バーベキュー場等があり、野外活動をするには適した場となっています。海に目を移せば八景島シーパラダイスがあり、シーサイドラインがあり、防波堤も造りかえられているようです。昔の海の景色とは全く異なってしまいました。昔を思えば、当然のことながら今は違うのです。今の発展ぶりに、浦島太郎のような思いでいる私でありました。しかし、基本的なことは変わってはいません。そこは野島であり、人に憩いの場を提供する海岸でもあるのです。イエス様をお祝いするというクリスマスは、迎え方は変わっていますが、救い主がお生まれになったという普遍的なメッセージは変わっていないのです。さあ、明日は聖夜です。
<聖書の言葉>
人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草のようで、草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。
(ペトロの手紙<一>1章24節)