鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

キリスト者老人ホーム ( 年を取ってもなお働きが )

 
 今日は「神の庭サンフォーレ」のクリスマスの集いでした。綾瀬にいるときは車で秦野のサンフォーレまで1時間でしたが、横浜市金沢区六浦からは1時間30分を要しました。それでも横横道路、東名で行きますから比較的に早かったと思います。
 「神の庭サンフォーレ」とはキリスト者の高齢者入居住宅です。このことは以前にも記していますが、改めて記録しておくことに致しましょう。キリスト教の老人ホームを造る計画を立てたのは、1994年に遡ります。神奈川教区において「教区の宣教を考える会」を開催し、「高齢者と共に歩む」ことが協議されました。当然考えられることはキリスト者の老人ホームと言うことでした。そこで宣教部委員会の中に「老人施設プロジェクト委員会」を設置し、調査・研究を始めたのでした。念頭にあることは神奈川教区がキリスト者老人ホームを造ることでした。その為の物件情報が寄せられ、いくつかの場所を見学し、調査したのでした。そして、最終的に決められたのが秦野の現在地でした。そこは日立製作所の社員住宅でした。そこを改造して老人ホームにすることにしたのです。しかし、そういうハード的な取り組みは神奈川教区としてはできません。そのような財力はないし、募金しても集まらないでしょう。そこで、この取り組みに理解を示しているサンフォーレと提携し、キリスト者の老人ホームを造ることにしたのでした。その取り組みは神奈川教区総会で決議しなければなりません。各地で説明会を開催し、そして総会議案としました。しかし、キリスト教が企業と提携して事業を行うことに疑義を持つ人がおり、総会では議論が平行しました。そのため継続議案としました。次の総会でも議論が続き、結局この議案を常置委員会に付託したのでした。しかし、常置委員会においても議論が続き、なかなか決議には至らなかったのです。いつまでも議論している訳には行きません。サンフォーレは既に物件を購入し、開設を待つばかりの状況であったのです。そこで、この議案を取り下げ、この取り組みは有志が行うことにしたのでした。「神の庭サンフォーレを支える会」を設立したのは1998年3月15日でした。それからは入居生活に関してはサンフォーレが行い、キリスト教の取り組みに関しては「支える会」が行いつつ運営することになったのでした。以来、今日に至るまで「支える会」としての活動を続けています。
 主事として一人の牧師が入居者の皆さんを励ましています。毎週火曜日に礼拝を行っていますが、いろいろな教会の牧師が礼拝を担当しています。讃美歌を歌う集いを開いたり、訪問活動も盛んに行われています。話し相手になってくれる人もあり、キリスト教の信仰をもって「神の庭・サンフォーレ」に関わってくださっていることは、誠に感謝であります。
 建設を目指したのは15年前でした。その頃は私自身50代半ばであり、希望と情熱にあふれていました。そういう中で神奈川教区議長を4年間、日本基督教団総会書記を8年間務めたりしたので、全力投球ができないままに関わってきました。しかし「支える会」の皆さんのご努力により、今日も取り組みが導かれていることは感謝であります。当初から取り組みを進めてきた数人の委員は、私も含めて年齢を重ねており、自分が対象にもなりつつあるのです。
 昨年のクリスマス礼拝は私が担当しましたが、今年は若い牧師が担当し、次代につながっていることを示され喜んでいます。礼拝が終わり、入居者の皆さんとお交わりの時をもちました。支える会からのプレゼントを皆さんに差し上げ、それぞれのテーブルで食べ物をいただきながら歓談することができました。中には昨年の私のお話を覚えておられる方があり、声を掛けてくれたりしました。祝福の「神の庭サンフォーレ」であることを示されました。
 年齢に関係なく、神様はその人を通して御業を現わされるのです。何よりも高齢者の栄光に輝く姿を知る必要があるでしょう。そのためにお風呂屋さんに通っているのではありませんが。
<聖書の言葉>
「何によって、私はそれを知ることができるのでしょうか。私は老人ですし、妻も年を取っています。」「わたしはガブリエル。この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。」
ルカによる福音書1章18節、19節)