鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

大工仕事 ( 箱舟を造りなさいと神様が )

 
 私の趣味としては山登りや物を書くことだと、どこかに記していますが、もはや山登りはあきらめています。調子によりますが、腰の痛みが出ることがあり、自信がなくなっているということです。しかし、平地やちょっとした里山は歩く姿勢をもっていますので、いずれ日記に記すことになるでしょう。それから大工仕事も嫌いではありません。身の周りの小さなことは、大工道具を使って制作しています。いくつかのことを記しておきましょう。
まず、ベッドメイキングです。ベッドメイキングはホテル等でベッドの毛布や掛け布をきちんと直すことですが、その意味ではなく、ベッドを修理したということです。私が使用しているベッドは、和式のベッドで畳になっています。父が使用していたものですが、今は私が使用しています。床からあまり高くないので、ベッドの下には物を置くことができませんでした。それで10センチほどの足を履かせ、下の空間を広くしました。そうすることによって、まだ片付いていない段ボール箱はベッドの下に収納したので、部屋が広くなったのでした。子ども達の部屋にはソファーベッドがありますが、これも足を履かせて下に空間を作り、下にいろいろなものを収納したのでした。この作業は以前しましたが、今日は何をしたのかと言うと、ベッドの横に囲いを作りました。寝ているうちに掛け布団がずれてしまい、時には床に落ちてしまうのです。夜中に布団を直しては眠りにつくわけです。とにかく布団がずり落ちないように、両サイドに囲いの板を付けたのでした。今日は安眠できるでしょう。
 宮城の教会にいる頃、子供たちが幼稚園児、小学生になっていました。就任したその年に牧師館を建設してくれました。今までの牧師館でも良かったのですが、二階建ての牧師館を建設したのです。二階は6畳二間であり、下はキッチンとダイニングでした。それほど広くもないので、二段ベッドを作りました。材木屋さんから柱や板を購入し、彫刻まで施して作りました。結構丈夫な二段ベッドが完成しました。子供たちも大喜びでした。宮城から大塚平安教会に転任するにあたり、そのベッドを処分しようと思いましたが、せっかく作ったので、分解して運んだのでした。大塚平安教会の皆さんが引越しの荷物を受け取ってくださったのですが、この柱や板は何かと疑問を持たれたということでした。宮城からわざわざ運んだのですが、結局組み立てることなく、物置にしまったままになりました。その後、改築があった際、それらのベッドの組み立て部品も廃棄処分してしまいました。
 いろいろな大工仕事をしましたが、その後は処分するなかで、いくつかの物がいまだに残されていることはうれしく思います。ひとつはドレーパー記念幼稚園の椅子置き台です。園舎は一部平屋建てでありましたが、その部分を二階建てにしました。そして、二階の部分を遊戯室、ホールにしました。合同礼拝では全園児がここに集まります。その場合、下から椅子を持って二階に上がって来るのは大変であり、二階には礼拝用の椅子を置くことにしたのです。椅子を用意したものの置き場所がありません。それで工夫して椅子置き台を作りました。キャスター付きですから、椅子を重ねては収納して運ぶことができるのです。二台作りましたが、今も使われていることはうれしい限りです。
 もう一つの作品は、大きな額です。以前、「天国の特別な子どもたち」について日記に記しましたが、その制作です。感銘深い詩であり、どこかに掲げておきましょうということになり、ベニヤ板に詩を書きました。その板を額状に仕上げました。昔は平屋建ての、あまり目立たない場に掲げていましたが、改築後は玄関ホールに掲げ、多くの皆さんが見つめるようになりました。今でも飾られていることは喜びでもあります。
 イランで「ノアの箱舟」の化石が発見されたとか。良きものは歴史に残るのでしょう。
<聖書の言葉>
あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟には小部屋を幾つも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい。
(創世記6章14節)