鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

クリスマス礼拝&祝会 ( 泊まる場所がなくても )

 
 今日はクリスマス礼拝を横須賀上町教会でささげました。予定では、今はスペイン・バルセロナにいるはずなのですが、いろいろなことが重なり、来春に延期しました。それで、本日は横須賀上町教会の皆さんと共に礼拝をささげることができ、誠に感謝でありました。いつもは10名以下の礼拝出席ですが、今日は17名の皆さんが出席され、イエス様のご降誕の喜びの礼拝をささげたのであります。今日は奏楽者もおられ、いつもはヒムプレーヤーで賛美していますが、オルガンによる奏楽は力強く賛美が導かれるのであります。聖餐式も執行され、主の恵みをいただいたのであります。
 今日は諸教会がクリスマス礼拝をささげたのであります。大塚平安教会も横浜本牧教会も10月から迎えた新しい牧師と共に喜びのクリスマス礼拝をささげたと思っております。昨年は大塚平安教会における最後のクリスマス礼拝であり、スペインでピアノの演奏活動をしている羊子が帰国し、奏楽を担当しました。その奏楽には星子も加わり、いつの間にか星子がオルガンに向かっているので、ちょっとびっくりもしました。そして、最後はハレルヤコーラスで賛美をささげ、最後の祝祷をもって終了したのでありました。その星子は3月21日の礼拝奏楽を初めて担当してくれました。私達の結婚記念日であり、何よりのプレゼントでありました。そして3月28日の最終礼拝には羊子が帰国し、奏楽を担当しました。父が30年6ヶ月務めた大塚平安教会の最後の礼拝を見届けたかった思いがあるのです。その時は星子と百合子も加わり、3人で奏楽を担当したのでした。3人の子供たちに小さい時からピアノを習わせた連れ合いのスミさんの最大の喜びであったでしょう。連れ合いのスミさんには内緒で練習していたのです。
 大勢の皆さんと共にクリスマス礼拝をささげてきましたが、横須賀上町教会における少人数の、しかし17名も出席していますので少人数とは言えませんが、心から礼拝をささげることができました。これが私の原点と思わされたのであります。出身の清水ヶ丘教会は、その頃も200名以上は出席していたのですが、その後の教会はそれほど多くの出席者はなく、むしろ少人数ながら皆さんで礼拝をささげ、お祝いを共にしてきたのでした。宮城県の教会にいるときは、最後の1年は兼牧の教会があり、午前のクリスマス礼拝、続いて祝会を行い、それから車で1時間のもう一つの教会に赴きました。その教会は10名もおりません。本当に小人数ですが、心から礼拝をささげ、クリスマスのお祝いをしたのでした。日本の教会の多くは少人数の教会が多く、それぞれ祝福の歩みをしているのであります。
 横須賀上町教会のクリスマス礼拝、祝会は祝福されたひとときでした。礼拝に出席された方がそのまま祝会に出席されました。記念写真を写し、ご持参になった、あるいは教会として用意したご馳走の数々を卓上に並べた時、皆さんもこんなに豪華なお食事になるとは思ってもいませんでしたと喜んでおられました。その前に教会学校のクリスマス礼拝がありました。10月から2度ほど教会学校の礼拝を担当しています。幼稚園児や小学生で6、7名と保護者の礼拝でした。今日は幼稚園の先生が卒業生に呼びかけられたので、20名以上は出席しました。保護者の皆さんも出席され、礼拝堂がいっぱいになったとの思いがありました。礼拝後は出席者の皆さんにプレゼントを渡す務めを与えられ、多くの子供たちと触れ合い、喜びでありました。教会の祝会はご馳走をいただきながら、楽器の演奏があり、独唱があり、自己紹介があり、お交わりが深められるひとときでありました。皆さんには私の説教集「最初の朝餐」を差し上げておきました。
 多くの皆さんと共にクリスマス礼拝をささげることは願いでありますが、馬小屋の中で貧しくお生まれになったイエス様のお祝いは、少人数の礼拝、祝会にこそお恵みがあるでしょう。
<聖書の言葉>
彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
ルカによる福音書2章6節、7節)