鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

誕生会&クリスマス祝会 ( その子を、名付けなさいと )

 
 今日は羊子と星子の誕生会とクリスマスのお祝いを兼ねて行いました。羊子は12月21日、星子は12月9日が誕生日であり、羊子は在バルセロナですが、遥かなる羊子を思いつつお祝いの時を持ちました。本来は、今ごろは私達夫婦と星子はスペインにいるはずですが、諸事情があり、日程を来春まで延期したのでした。羊子が生まれた時、丁度クリスマス礼拝の朝でした。青山教会時代でした。明日がクリスマス礼拝、祝会という土曜日に、祝会でプレゼント交換をするというので、持ってこない人のためのプレゼントを用意していました。時々、スミさんがお腹の痛みを訴えていました。その頃、間借をしていましたので、私達の会話を聞いた大家さんの奥さんが声を掛けてきました。お話を聞いていると、どうやら陣痛みたいですよと言うのです。それで病院に電話しましたら、すぐに来てくださいと言うことになり、タクシーで病院に行きました。私はそのまま待合室で待っているつもりでしたが、まだ時間がありますからひとまずお帰りくださいと言われて帰ったのでした。翌日は7時には家を出て、青山教会に行きました。教会学校の準備をしていると、病院から電話があり、女の子が生まれたということでした。連絡を受けても行くわけにはいきません。教会学校のクリスマス、教会のクリスマス礼拝、祝会があり、一通り終わったのが3時頃でした。ようやく解放されて病院に向かいました。午後4時頃の対面となったのでした。「羊子」と命名しましたが、ヨハネによる福音書10章に示される「わたしは良い羊飼いである」と言われたイエス様に従う「良い羊」としての歩みを願いつつ命名したのでした。
 星子が生まれた時は待降節のさなかであり、星の導き、ベツレヘムの星等が考えられましたが、むしろフィリピの信徒への手紙2章14節〜16節の言葉を基としました。「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非の打ちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう」との言葉によって命名したのでした。青山教会の主任牧師である宮内彰先生が、教会の皆さんに報告しましたが、「今度、生まれる子供は博士と言う名になるでしょう」と紹介したのでした。羊も星もクリスマスに関係するからです。
 クリスマスの季節に生まれたので、誕生会とクリスマスの集いがいつも一緒になります。親としてはプレゼントは一つなので助かるわけですが。でも、誕生日プレゼント、クリスマスプレゼントはちゃんと別に用意したこともありました。私の姉の美喜子も12月24日が誕生日であり、信仰的には感謝であると言っていましたが、お祝いが一緒になってつまらないと、ポツリと言ったこともありました。
 三番目はクリスマスから外れましたので、博士にはなりませんでした。これもお祝いの日で、イースター礼拝の前日4月13日に生まれたのです。それでイースターには百合の花が添えられるので百合子としたのですが、聖書的な根拠はありません。54年版讃美歌の496番「うるわしの白百合」を思いつつでしたが。復活のイエス様の導きを受けるようにと命名したのでした。三人の子供たちがそれぞれの道を歩み、親を見守るようになっていること、まことに感謝であります。
 ところで私の名前は伸治(のぶはる)です。兄の名前は光政でした。父の名が政次郎なので、親の光として命名されたのでしょう。では、私は何なのか。親に聞いたこともなく、自分の名前の意味を考えていました。そこで、自分として考えたことを歌にして詠みました。「伸治と親は名付けてくれにしも我が忠実なるは背丈ばかりか」という歌であります。とにかく、大きく成長してくれれば良いと親は考えたと思います。だから、他は全然だめなのですが、せめて背丈が比較的高かったので、親の期待に応えたと思っているのですが。
<聖書の言葉>
あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。
ルカによる福音書1章31節、32節)