鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

相互挨拶 ( 平安を祈りつつ )

 
 今日は日曜日、礼拝をささげる日です。今日も「たった二人だけの礼拝」でした。簡単な週報、礼拝順序を作っていますので、それに従って進めました。今日は最後に「相互挨拶」を入れました。大塚平安教会の時代、礼拝が終わると相互挨拶をしていました。「あなたに平安がありますように」と左右、前後の人々と祝福の言葉を与えあうのです。この相互挨拶をする以前は、礼拝が終わっても隣同士、挨拶もなく、四方山話に移って行くことが常でした。それで、礼拝が終わった時、出席者が同じ言葉で挨拶をすることにしたのです。この挨拶をし始めた頃、なんとなくぎこちない挨拶でした。そこで、祝祷を与え、後奏が終わると、牧師が「ご挨拶をしましょう」ということにより皆さんが声を大きくして挨拶を交わすようになったのでした。夫婦が並んで出席しているときも、親子が並んで出席しているときも互いに挨拶ができるので、とても良いですとの感想もありました。家では、決して言うことのない言葉であるからです。やはり、共に礼拝をささげたのですから、祝福を祈りあうことが大切なのであります。その祝福の挨拶を谷間の集会でも行いました。夫婦が改まって「あなたに平安がありますように」というのは、礼拝だからできるので、普段の生活ではできないものです。礼拝なので、違和感もなく互いに平安を祈りあったのです。この挨拶をするのは、3月に大塚平安教会を退任して以来であり、懐かしくもあり、また新鮮な思いで、夫婦で挨拶を交わしたのです。
 日本基督教団は式文を順次新しくしています。式文というのは、礼拝、聖餐式、洗礼式、正教師按手礼式、牧師就任式等、いろいろな式の文言、順序です。その中で聖餐式礼拝の式文も新しいものが作られました。4年前でありました。まず、教団総会で新しい式文を用いての聖餐式が行われました。その中で聖餐にあずかった時、互いに左右、前後に挨拶をするのですが、特に握手をすることを奨励しているのです。今までにない聖餐式であり、総会議員は喜んで互いに握手をしていました。激しい議論があったとしても、聖餐式により一致が導かれるようです。この式文はまだ試用版であり、諸教会には定着してないようです。日本の教会は握手したりハグしたりするのは苦手のようです。礼拝が終わると、牧師が玄関に立ち、帰られていく皆さんに握手をしてお送りする教会もあります。握手が慣れてない日本の教会であり、せめて祝福の言葉を掛け合うことは、これはどなたにも違和感がなくできるのではないでしょうか。
 今日の礼拝の聖書日課は「時が来れば実現する神様の言葉」を主題としました。スミさんの感謝祈祷もその御言葉に励まされ、「この谷間の集会におきましても、時が来れば神様のみ言葉が、祝福のうちに実現することを信じています」とお祈りしたのでした。やはり、教会は神様の御言葉を宣べ伝えているのですから、一人でも多くの皆さんをお招きしたいのであります。今日もそれぞれの教会で礼拝がささげられました。一人でも多くの皆さんをお招きする姿勢を持ちながら礼拝をささげたと思っています。
 谷間の集会では、説教はプリントしてあり、私は説教を読み、スミさんもプリントを見ながら説教に向かっているのです。原稿を読むのでなければ、会衆であるスミさんに向かって説教をすることになり、なかなか言葉づかいが難しくなります。昔、どなたも出席がない祈祷会で、二人だけの祈祷会をしましたが、奨励の言葉づかいに苦労しました。用意した説教を読むことであれば、不自然なところがなく、二人とも同じ姿勢で説教に向かっていることになるのです。説教のあとは讃美歌をヒムプレーヤーにより歌います。その後は感謝祈祷をささげますが、これは信徒であるスミさんがささげることになります。スミさんのお祈りは、今までに関わって来た教会を祈り、そこにおられる皆さんを覚えながらお祈りをささげました。
今日はリスのシュータのためにもお祈りしていましたっけ。
<聖書の言葉>
わたしは言おう、わたしの兄弟、友のために。「あなたのうちに平和があるように。」
詩編122編8節)