鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

ウマカッタウシマケタ ( 戸を開けて )

 
 今日は、かねてより私達をお招きくださっていたご夫妻宅にお訪ね致しました。横浜市内ですが、車で40分を要したでしょうか。夕刻、4時頃お訪ねし、夜の7時30分においとましたのでした。楽しいお話だけでも心が満たされましたが、おいしい食卓にあずかり、お腹も満たされ、豊かな思いを与えられたのでした。「うまかった」と家庭で言う言葉を言いそうでしたが、「美味しかったです」と御礼を述べたのであります。家庭において、食事の後に「おいしかった」と言うところを「うまかった」と、誇張の意を含めて言います。すると、連れ合いのスミさんが「うしまけたのね」と言うのです。最初は何を言っているのか分かりませんでした。スミさんが育った家庭で、そのように言うのだそうです。「うまかった」とは「馬が勝った」であり、「うしまけた」は「牛が負けた」という合言葉になるのだそうです。
 いつも二人で食事をしていますが、時には子供たちが来ますので、賑やかに食べることになります。二人の時もいろいろとお話しながら食べますが、夕食は8時頃になり、その時間帯はテレビで「水戸黄門」等を放映しているので、ついそちらに目が行き、耳を傾けてしまいます。いろいろ話をしていたスミさんが「聞いているの」とおかんむりです。「聞いているよ」と言いますが、それからはスミさんもお話しなくなり、スミさんも画面を見て一緒に笑うのでした。まあ、こんな調子ですので、お招きをいただいての食事はお話がはずむというわけです。
 食事のことであれこれと思い出していると、教会で皆さんといただく食事、幼稚園で子供たちと一緒に食べた会食等が思い出されます。大塚平安教会では祝祭日(クリスマス、イースター)の食事はポトラックにしていました。皆さんが食事を持ち寄って、テーブルに並べます。バイキングの食事のように、それぞれお皿に取って食べるのです。そういう楽しい食事を、最後にもう一度というわけで、私達の送別会はポトラック方式をお願いしました。皆さんが美味しいお料理をお持ちくださり、涙と共にいただいたのであります。懐かしく思い出しています。幼稚園の会食は創立記念日、収穫感謝祭、お別れ会の時は全園児が一緒に会食致します。教職員が下ごしらえや仕上げはしますが、年長組のお友達が野菜の皮をむいたり、きざんだりするので、年長組さんが作ったことにするのです。いつもはお弁当を持って来ての食事ですが、今日は年長組さんが作ってくれたカレーライス、または豚汁ということで、楽しくいただくのでした。その楽しい写真は、説教集「最初の朝餐」に入れてあります。
 楽しい食事ばかりを記しましたが、食事に事欠く人々がいますことを思わなければなりません。川崎の桜本教会は毎週日曜日と木曜日、路上生活者に食事を提供しています。最初は教会独自に行っていましたが、限りがあります。それで諸教会に支援を求めるようになり、献金や物資の提供を受けて賄っているのです。連れ合いのスミさんも数年前まで、木曜日に手伝いに行っていました。今はできなくなっていますが、この貴い働きが維持されることを願っています。今年も桜本教会から支援の依頼が来ています。皆様にもこのような働きを覚えていただきたいのであります。ご支援くださる方は、郵便振替でお送りください。[加入者名]宗教法人日本基督教団桜本教会、[口座記号番号]00230−3−56182。
 アンデルセンの「マッチ売りの少女」を心に示される時期です。その年の最後の日、雪の降る中、マッチを売りに出なければなりませんでした。誰も買ってくれません。空腹と寒さの中で、暖を求めてマッチを擦ります。一時の明かりの中に暖炉やご馳走が並べられているのです。少女はその寒さの中で天国に召されていくのです。横たわる側の家の中では、暖炉のぬくもりの中で美味しい食事が出されているのでした。誰も扉を開けることはなかったのでした。この物語は、そこに力点が置かれているのではないでしょうか。
<聖書の言葉>
見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。
ヨハネの黙示録3章20節)