鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

谷間へのいざない ( 喜びの歌をうたいつつ )

 
 今日は日曜日です。前週28日の日記は「たった二人の礼拝で」と題して記しました。もはやどこの教会の職務の責任を持たないので、解放された10月からはいくつかの教会に出席しました。しかし、前週はこの家で二人だけの礼拝をささげたのです。そして、今日も迎えた日曜日、今日は「たった二人ではなく」、四人の礼拝でした。一人は大塚平安教会の教会員で、比較的近くに住んでいますが、高齢になられて大塚平安教会の礼拝には行かれない方です。もう一人は、やはり高齢の方で、私が大塚平安教会の牧師である頃から、礼拝には客員として時々出席されておりました。しかし、なかなか教会の皆さんとのお交わりが深まらないでいたのです。私たちが転居して以来、ぜひ伺いたいと言われており、今日の礼拝に来て下さったのです。お二人とも年齢が同じであり、私達夫婦よりひとまわり上になります。従って、今日は兎年の皆さんなのです。まだ、「たった四人」ですが、心を合わせて礼拝をささげたのであります。その後はスミさんの手作りの食事をいただきながら、歓談しつつ過ごしました。客員の方は、今まで礼拝が終わると、すぐに帰られていました。だからゆっくりとお話することができなかったのですが、今日お出でになり、お話し好きであることを初めて知りました。次々にいろいろなお話をされるのでした。お二人とも晴々として帰られて行かれました。
 この集会を「六浦谷間の集会」と致しました。谷間と言えば、山あいのひっそりとした場所を思い浮かべるでしょうが、昔はそうであったとしても、今は里山の至るところに家が建ち、里山はなくなってしまったのです。それでも私は、ここは谷間としているのです。
 40年間、教会牧師、幼稚園園長、その他いろいろな職務を担って歩んでまいりました。まだ、隠退届は出していませんので無任所教師ですが、私の最後のお務めが見えてきました。「去る人は日々に疎し」との言葉がありますが、群れから去って行った人は、次第に人々から忘れられていくのです。教会の皆さんは、それらの人々を覚えてお祈り致します。実際、祈祷会では、離れている人々を覚えてお祈りしていました。従って、教会の皆さんは私達夫婦をお祈りくださっていることでしょう。しかし、人間的なこととして、いない現実において次第に忘れ去っていくことは確かなのです。谷間に生きるとき、忘れられた皆さんが時には「谷間の集会」にお出でになり、共に礼拝をささげ、心行くまでお話しをする、お話しをしなくても共にいる喜びを持つ、「谷間の集会」の意義と致しましょう。教会に行きたくても行かれない、行っても皆さんとお話ができない、教会に行っても場がない、だから行かない人々の集いとなればよいと思っています。高齢となり、まだケアーは必要でなく、しかし話す相手もなくて孤独に生きている方がおられます。若くても人間関係がうまくいかない方もおられます。谷間の集会は、片隅におかれた、また自らをその境遇に置く人々の集いなのです。
 「谷間の百合」というバルザックの小説があります。美しい谷間を縫って流れる大河を背景にする恋愛小説です。この谷間はかなり雄大な谷間のようです。しかし、谷間とは本来こじんまりとした山あいなのです。「谷間の桜」という言葉があります。谷間に美しく咲く桜ですが、谷間には訪れる人が少なく、その美しさを知る人はいない、という意味です。谷間のこのようなところに憩いの場があることを皆さんに知らせましょう。
思えば、私が青年の頃、姉の美喜子も健在な頃、この家で子供たちを集めて集会を開いたことがありました。聖書の紙芝居、ゲームなどして子供たちを楽しませたのです。数回で終わりましたが、神様はその時から「谷間の集会」を準備してくださっていたのでしょうか。50年も遡るのですが。そうだとすれば、今までそれとなく蒔いてきた種が、少しずつ芽を吹いてきたということなのでしょうか。気の遠くなるような種まきですが、喜びの歌に代っているのです。
<聖書の言葉>
涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる。
詩編126編5節、6節)