鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

日本正常論 3 ( 大いなるものは愛 )

 
 今日は小説家・三島由紀夫没後40年ということで、NHKのニュースでも読売新聞でも特別に報道していました。三島由紀夫氏の小説、「金閣寺」を読んだ時、その美しい文体に魅了されたものです。その後、三島氏が自衛隊体験入隊をしたりするのは小説のためとも思っていました。しかし、「盾の会」なる組織を作り、陸上自衛隊東部方面総監部に赴き、自衛官と、詰めかけたマスコミ陣の前で、バルコニーから自衛隊決起(クーデター)を促す演説をしました。しかし自衛官達は三島氏の演説には冷ややかでありました。マイクを通さなかったので、またヘリコプターが飛び交い、あまり聞こえなかったということです。その後三島氏は割腹自殺をしたことは忘れられない出来事です。その頃は東京の青山教会の副牧師をしていました。
 一昨日来、文藝春秋に掲載された石原慎太郎氏の論文「日本堕落論」に対する所感を記していますが、今日も締めくくりの意味で記しておきます。石原氏は三島由紀夫氏を回顧しながら、「私はこの今になって、亡き三島由紀夫氏と交わした幾つかの会話を改めて思い出さずにはいられない」、「彼がその晩年口にしていた予言が今不気味な余韻で蘇るのを感じぬわけにはいかない」として彼の言葉を紹介しています。「愚かな野党党首を暗殺して自らも自裁した山口二矢は神だ」、「健全なテロルの無い社会に、健全な民主主義など育ち得ない」、「恐ろしいものがなくなった社会ほど、恐ろしいものはない」と。三島氏の行動は、「到来した今日この国この民族の堕落の惨状を予見」していたとしています。石原氏は結びとして、「今この国には命がけでことを誅する壮士はどこにもいはしないし、政権を賭してことを行う政治家も政府もありはしない。ならば我々国民の一人一人がまず人間として我々の今おかれて在る状況を本気で見直し、その克服のための手立てを民族の声として立ち上げる以外にありはしない」と記しています。
 言わんとしていることは論文の中で繰り返し示している核保有国になること、憲法を改正することなのであります。それを積極的に進めない現代を堕落しているとしているのです。日本の平和憲法が戦争を放棄する文言を入れているのは、石原氏の言う、占領軍によるあてがい扶持憲法ではありません。日本はアジアに侵略し、残虐な支配を繰り返してきたのです。敗戦となった時、その残虐な侵略を深く悔い改めたからこそ、戦争放棄を誓ったのではないでしょうか。日本の平和憲法は懺悔の意味が含まれ、戦争放棄の決意でもあるのです。その憲法を否定、改定しようとすることには、断固反対しなければなりません。そのため、「九条の和」が組織され、または「九条の会」のもとに、多くの人々が憲法改定に反対しています。私も改定に反対しますので、「九条の会」に登録しています。新しい歩みを展開するために、まず原点に立ち、悔い改め、その上で新しい世界を形成していくことなのです。
 日本基督教団は1967年に「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を公にしましたが、教団全体の総意ではなく、鈴木正久総会議長名で執行部の責任において表明しました。1995年には「明治学院の戦争責任・戦後責任の告白」が中山弘正院長の名で公にされました。1997年には「日本ホーリネス教団の戦争責任に関する私たちの告白」が公にされました。戦争中、ホーリネスの群れは弾圧され、解散させられた悲しい歴史があります。しかし、やはり戦争の責任を公にして、悔い改めて新たなる歩みを始めているのです。
 日本の今日の社会の状況を思う時、退廃というか、悲しむことが多くあります。しかしその中で、日本の過去を悔い改めて、そして日本国憲法を必死に守りながら、この国を支えている人々が多くいます。日本は堕落していないのです。希望を持って生きましょう。そのために聖書が示す愛に生きることです。この愛は自分の気持ちによるのではなく、自分の思いを超えた愛なのです。他者の存在を受け止め、共に生きる愛なのです。
<聖書の言葉>
信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
(コリントの信徒への手紙<一>13章13節)