鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

留守対策( その一羽さえ )

 
 前週の土曜日はお通夜に臨み、家に帰りましたのは午後8時30分頃でした。連れ合いのスミさんが「ただいまあ」と言い、「シューター」と言いそうになっていましたが、その日はシュータはいません。既にブログでも紹介していますように、シュータとはリスのことです。そのシュータが土曜日からいなくなりました。実は、土曜日に埋葬式があり、お通夜に臨んで帰ってくるのが夜になるので、シュータが寂しがるというわけで、海老名にいる百合子の家に預けました。相模メモリアルパークの埋葬式には、車の中に置いておきました。その後、お通夜までは時間があるので百合子の家に寄ったのです。シュータを置いてきたのは、翌日の21日は横浜本牧教会礼拝に出席し、午後3時からの就任式に出席すると、帰宅するのは夜になりますので一日中留守になり、やはりシュータが寂しがるというわけで百合子の家に置いてきたのです。百合子は22日にこちらに来るのでシュータを連れてくることになっていました。我々が出かけて留守をするので、シュータが寂しがると言わけで、百合子の家に預けてきたのですが、シュータより人間が寂しがっていました。「なんか、シュータがいないと寂しい」と繰り返しつぶやくスミさんでした。朝起きると、まずシュータの籠に行き、名を呼び、出て来ないと手を籠の中に入れて、下にもぐっているシュータを手のひらに入れて出すのでした。チューしたり、話しかけたりして朝のセレモニーを行います。買い物に出かけるときは、「行ってくるからね。お留守番しててね」と言いつつ家を後にします。そして、帰ってくると、まずシュータの籠に行き、「ただいまあ、いい子だった」と話しかけるのです。声をかける存在がいないことで、むしろスミさんが寂しがっていました。声をかける存在は他にもいるのですが。今日も朝起きて、私に「おはよう」と朝の挨拶をしましたが、トーンが低く、シュータへの呼びかけとは全く違うのです。トーンを高くして呼びかける存在の帰還が早く必要です。
 そのシュータを部屋の中に放すことがあります。その時は喜んで部屋中を飛び歩いています。カーテンをよじ登ってエアコンの上で下を見下ろしています。かと思うと、いつの間にか静かになってしまいます。隅に置いた布の中に潜り込んで寝ているのです。ある日、大変なことが起こりました。シュータを部屋の中に放し、遊ばせていましたが、スミさんは用事で部屋を出ました。丁度スペインにいる羊子が帰国していた時で、羊子が部屋に入ってみると、シュータがいないし、厨房のドアーが開いてることを発見しました。シュータが脱走したことが分かりました。さあ、大変です。小さいながら庭にはいろいろな花やら野菜等が植えられています。そして、庭に続いて崖になっていますので、そこまで入って行ったら見つけることはできません。ところが裏の家の車の付近で発見したのです。車の下に潜り込んでしまい、なかなか出てきません。少し様子を見ることにし、スミさんがシュータの好きなものを玄関先に置いておきました。間を置いてスミさんが覗きに行くと食べたあとがありました。それで再び車の方に行きますと、ひょっこり出てきて、自宅の駐車場の方にやってきましたので、羊子がうまく保護したのでした。「いなくなったら、どうしようと思った」と述懐するスミさん。
 さあ、トーンが上がる存在のシュータが帰ってきました。百合子がシュータを連れてきたのは午後8時30分でした。もっと、早く来るべきであったと苦情を言っています。早速、手のひらに入れていました。私が鎌倉に歩いて行った時、ドングリをいくつか拾って来ましたが、スミさんはそのドングリを与えると、シュータはすぐに頬袋に入れてしまいました。だから好物のお豆腐をあげてもあまり食べられないのです。そのためスミさんの手をあま噛みして、巣に入りたいと訴えています。
 これで我が家の平和が戻ったのでしょうか。平和とは小さな喜びなのです。
<聖書の言葉>
二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。
(マタイによる福音書10章29節)