鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

天国の食事( 求める者には与え )

 
 昨日は映画観賞をしましたが、もちろん一人ではなく、連れ合いのスミさんと彼女の友達と三人で出かけました。有楽町で12時に待ち合わせ、食事をしてから鑑賞することにしていました。いろいろと食事処を捜すうちに、「三尺三寸箸」との店で食事をすることにしました。この店はバイキング方式で自分の好きな食べ物を取ることができます。バイキング方式で食べると、つい食べ過ぎてしまいます。お腹いっぱいになって、映画を見ながら居眠りが出るのではないかと案じましたが、昨日記したように、涙の鑑賞でした。
 ところで食事処「三尺三寸箸」の意味ですが、三尺三寸は1メートルです。その長い箸で食べましょうとの意味です。もちろん、そんなに長い箸で食べたのではなく、普通の長さの箸です。三尺三寸箸を使う思いで食べましょう、ということです。これは仏教の教えから店の名にしたということです。三尺三寸の箸を使って極楽と地獄で食事が行われます。はたして1メートルの箸で食べられるのでしょうか。極楽では、向かい合った相手の口へご馳走を運び、食べさせてあげるのです。相手も自分の口にご馳走を運んでくれます。地獄では、どうにかして自分の口に持っていこうとして、いつまでも食べることができなかったということです。このことから「相手に喜びを与えることで、必ずその喜びは返ってくる」つまり「他人のために生きることによって、自分も幸せになる」と教えられているので、「三尺三寸箸」と店の名にしたと説明されていました。
 このお話は、私にはとても参考になりました。実は、これと似たようなお話を皆さんにしていたのです。おそらく、昔、キリスト教例話集から知ったのでしょう。ある人が宴会を開き、知人達大勢の人々を招きました。その人は、宴会の開会にあたり挨拶をしました。「ようこそこの宴会にお出でくださいました。おいしいご馳走をたくさん用意しましたので、お好きなものを存分に召しあがってください。しかし、今日はゲームをしながら召し上がっていただきたいと思います。これから皆さんは両手を添え木で固定していただきます。つまり、皆さんのひじは曲がらなくなります。そういう状態ですが、おいしいものをたくさん召し上がっていただきたいのです。さあ、どうぞ召し上がってください」と挨拶をしたのでした。まさに目の前はご馳走です。招かれた人は面白そうに食事にあずかろうとしました。ところが、腕が曲がらないので、なかなか思うように食べたいものがつかめません。ようやく箸でつまんでも、それを口に持ってくることはできないのです。もう、恥も外聞もないというわけで、箸でつまんだものを上にかざし、上から落として口で受け止める食べ方です。口にうまく入らず、顔が汚れてしまいます。もう一つの食べ方は、テーブルから少し離れて、食べたいものを自分のお皿に入れるのです。テーブルから離れないとできません。ある程度盛りつけたら、そのお皿に口を直接持っていって食べるのです。動物のようです。この食事はゲームというので、そういう食べ方も悪くはありません。でも、やはり口の周りどころか、顔中を汚して食べなければなりません。このように皆さんは顔を汚し、服まで汚しながら食べていますが、楽しく汚さないで食べている人達がいました。ご馳走を自分の口に持ってくることはできませんが、相手の口に入れてあげることはできるのです。お互いに食べたいものを存分に食べることができたのです。
 「三尺三寸箸」の店の由来を知り、今まで聖書的にお話していたものは、ここに出典があったのかと示されたのでした。この教えは、相手にしてあげれば、喜びは自分に返ってくるということです。ですから、最初から自分の喜びのために、他者への働きがあるのです。しかし、私たちは、自分を与えるということ、仕えるということであり、返ってくることについては言及がありません。ただ神様のご栄光が現れることが願いなのです。
<聖書の言葉>
求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。
(マタイによる福音書5章42節)