鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

100歳の少年( いと小さき者に )

 
 今日は映画「100歳の少年と12通の手紙」を鑑賞しました。わざわざ有楽町のTOHOシネマズシャンテという映画館に出かけたのです。この映画を知ったのは、10月19日に配信された「いのちのことば社メールマガジン」でこの映画のことが紹介されていました。11月6日から公開されるというので、ぜひ見たいと思っていました。
 内容を紹介しておきましょう。オスカーという少年は10歳ですが、白血病で病院にいます。彼はとてもいたずらが好きで、病院内の学校でもいたずらをしますが、先生は叱らないのです。先生ばかりではなく、両親も婦長さんもお医者さんも、叱らないのです。オスカーに何かを隠しているような、そういう雰囲気をオスカー自身が感じるようになります。だからオスカーは大人たちの言動に不信感を抱くようになり、誰とも口を利かなくなるのです。ある時、オスカーはピザ屋のローズと出会います。ピザを配達に来たローズとぶつかってしまい、ローズは持っていたピザを廊下に落としてしまいます。ローズは口汚い言葉でオスカーを叱ります。しかし、オスカーはローズが真実に自分の気持ちをオスカーに投げかけたので、気持ちがローズに向くのです。オスカーは主治医にローズを呼んでくださいと頼みます。主治医にしても婦長さん達も知らなかったのですが、どうやらピザを配達に来る人であると分かり、彼女を呼ぶのです。主治医からオスカーの様子を聞き、ぜひ話し相手になってほしいと頼まれますが、ローズは家族でもない子どもであり、死にゆく子どもの相手などできないと断ります。しかし、主治医のたっての願いで、ついにローズはオスカーの病室に入るのでした。ローズは元女子プロレスラーでした。オスカーはローズから12日間面会を許されたと聞き、自分の命を悟るのです。悲しみのどん底にいるオスカーに、ローズは故郷の言い伝えを話しました。「一日を10年と考えて生きようね。そして、毎日神様に手紙を書こうね」と勧めるのです。オスカーが手紙を書くと、ローズは病院の庭に出て、風船に手紙をつけ空に飛ばすのでした。病室から天国の神様に飛んでいく手紙を見つめるオスカーでした。オスカーは神様を否定していました。それでは神様に会わせてあげる言い、ローズは病院に分からないようにオスカーを連れ出し教会に連れて行きました。礼拝堂の正面には十字架のイエス様が置かれていました。それを見たオスカーは、苦しんでいるイエス様は神様ではないと言います。あなたのために苦しんでいるのだとローズ。神様にはおもちゃや自動車のようなものをお願いするのではなく、勇気や忍耐をお願いするの、ときっぱり言われるのです。オスカーは手紙を書くうちに神様を信じるようになって行くのです。人間は皆死んでいくということをローズから聞かされ、両親を受入れ、周りの人々を受け入れていくのです。1日を10年と数えはじめて10日を経ました。つまり100歳になっていました。そして、オスカーは静かに天国へと召されていったのです。その10日目には2通の手紙が書かれており、ローズは二つの風船に手紙を結び付けて天国へと送ったのでした。
 元女子プロレスラーのローズは気性の荒い人でしたが、小さな少年が命を見つめて生きており、自分が少年と共に生きるようになって変えられていきました。少年が天国に召された後、両親が少年の形見を届けてくれました。玄関先に置かれていましたので、箱を開けると少年が大事にしていた熊のぬいぐるみがありました。玄関先で座り込み、しっかりと抱き続けているローズに、いつもケンカばかりしている母親が、そっと自分の洋服をかけてあげるシーンは、オスカーによって変わったローズや取り巻く人々を変えたことを示しているようでした。ひとりの存在を見つめることは、神様の御心が示されてくるということ、奇跡が起こるということ、周囲の者まで変えていくということを、この映画は示していたようです。小さな存在、弱い存在を見つめ、受け止めることは、自分が変えられていくということです。
<聖書の言葉>
わたしの兄弟であるこのもっとも小さい者のひとりにしたのは、わたしにしてくれたことなのである。
(マタイによる福音書25章40節)