鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

ロウケン施設( 動物たちも共に )

 
 老健施設ならぬ老犬施設を作ろうかと思ったことがありました。人間の老健施設は、今やあちらこちらにあふれています。昔は、朝と言えば幼稚園の送迎バスが目立って横行していました。しかし、今は老人の送迎車が目立つのです。老犬施設を作ろうかと思ったのは、老犬の介護をした経験があり、人間の介護は必要なことですが、動物たちの介護施設を作ってあげることも必要なことだと思ったのです。
 散歩に出ると犬の散歩をしている人に多く出会います。最近は小型犬ばかりで、大型犬はもちろんですが中型犬も見かけないのです。全く見かけないというのではありませんが。犬と言えば小さい動物とのイメージが固定化されてしまいます。
 我が家に犬が存在するのは、子供たちが小学生の頃ですから30年も昔のことになります。ある日、教会の玄関先に大型犬ジャーマンシェパードがうずくまっていました。家が近くであれば帰るでしょうに、一向に帰ろうとしません。人間に慣れているようで、子供たちが近づいても、そのまま受け入れているのです。教会の前は県道ですから、車から捨てられたのではないかと結論し、飼うことにしました。しかし、大きな犬なので家の中に入れることはできません。人に危害を与えないし、夜はそのまま外に置いておきました。朝になっても、何処にも行かず、玄関先でうずくまっているのでした。子供たちが散歩に連れて歩きますが、一人では無理です。三人の子供たちが一緒に連れて歩くのでした。一週間もいたでしょうか。玄関先で横たわっていたのです。どうやらフィラリア症のようでした。今までの飼い主がどのように管理していたのか分かりません。予防薬も与えずにいたのかもしれません。蚊が多いことは確かなのです。
 三人の子供たちが犬を連れてきました。野良犬なのですが、中型犬より少し小さい犬で、おとなしく可愛い犬でした。ちゃんと面倒をみることを約束して飼うことになりました。チェリーと名付けられました。子供たちは学校から帰ると散歩に出かけるので、何回も散歩することになります。おとなしい犬なので、幼稚園の子供たちが園庭で遊んでいるときには、園庭につないでおくと、順次子供たちがチェリーに触れるのでした。慣れてくるとチェリーにまたがったりして、受難のようでした。そのうち、縁があって、もう一頭の犬を飼う破目になってしまいました。ノアとの名前ですが、この犬は中型犬より少し大き目です。足が長いからでしょう。その頃は、子供たちも中学生、小学校上級生になっており、部活や遊びで忙しくなり、犬の散歩をしなくなったのです。やむなく親がチェリーとノアの散歩をするのでした。
 やがてチェリーが年を取って死にました。動物病院で検診を受けていましたが、老衰であると言われ、施すすべもなく、苦しがっているチェリーを見守るだけでした。そばにいるノアも見つめていました。そして、数年後にはノアが年を取りました。だんだんと歩けなくなってきたのです。少しでも歩いた方が良いと、連れて歩こうとしますが、足が棒のようになっているのです。そこで、かなり重いノアを抱いて、いつも歩く場所へと連れて行くのです。そのうち横になったままになってしまいました。もう散歩に連れ出すこともできません。家の中で入れてあげました。箱の中から出ようともせず、寝返りもできないので、おむつを替えてあげながら向きを変えてあげたりしていました。チェリーの場合は痛みを訴えていましたが、ノアは眠るようして天国に行ったのです。
 可愛いと言って犬を飼いますが、どうにもならなくなって、しかるべきところに持っていくことを聞いています。最後まで見取ってあげなければなりません。それができない人が多いので老犬施設を作ろうかと思ったのです。もう、今では無理でしょうが。今でも庭の片隅にノアの小屋を置いています。そのうち、野良猫でも住み着いてくれればと思っています。
<聖書の言葉>
清い動物も清くない動物も、鳥も地を這うものもすべて、二つずつ箱舟のノアのもとに来た。それは神がノアに命じられたとおりに、雄と雌であった。
(創世記7章8節〜9節)