鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

家族を考える( 御心を行う人が )

 
 NHKの朝の連続ドラマは、今は「てっぱん」との題で物語が展開しています。「家族」がテーマのようです。一生懸命にみている訳ではありませんが、今までも朝の務めをしながら、それとなく見ていました。朝ご飯を食べながら、歯磨きしながら、髭を剃りながら、新聞を読みながらです。まず7時45分からBSで放映されており、終わると地上デジタルで放映しているので切り替えます。だから、朝の務めをしながらでも、見たり見なかったりでも、物語はつながっていくのです。お昼の食事時も見ることになり、一日に何度も見ることになります。弁解するようですが、テレビの前に座り込んで見ているのではなく、いつも、「ながら」で見ているのです。「家族」のテーマは、今までの物語でも取り上げられていますが、だいたいは「家族」がテーマのようです。人間が生きるということは家族が基になるからです。テレビでは動物の物語も取り上げられていますが、それも家族がテーマになっています。
 家族は親も子も、互いに見つめ合いながら、それぞれの生き様を自分のこととして過ごしています。先日、スペイン・バルセロナでピアノの演奏活動をしている娘の羊子からのメールを読み、子どものありがたさをしみじみと示されるのでした。

お父さんへ
長年の牧会生活、日本基督教団の役員・書記、本当にご苦労様でした。 
言葉では言い表せないくらい沢山の仕事をしてきたと思います。
教会の牧師だけでなく園長、理事長、教団、施設、刑務所、少年院とさまざまな任務でしたね。
子供のころ、確かに運動会や発表会にお父さんが来れなかったのは、少し寂しかったけど、いつもお父さんのことを誇りに思っていました。
今も同じ思いです。尊敬できる父は私の自慢です。
お母さんも、また違った意味で私にとって自慢の母です。
お母さんはとても子供っぽいけど、本当に純粋な人間だと思います。
なかなか今の社会、お母さんのような人はいません。(いろいろな意味で、笑)
親の背をみて子供は育つ、と言いますが私は刺身と豆腐とお酒好きがお父さんから継承したかもしれません。
今後はのんびりと牧会してくださいね。
ブログ、説教を楽しみに読んでいます。

昨日は横須賀上町教会の礼拝を担当しましたが、子ども達、星子や百合子、友達も礼拝に出席しました。彼らは私が礼拝を担当する時には、いつも一緒に出席します。横浜本牧教会の礼拝においても、毎週ではありませんでしたが、出席していました。大塚平安教会時代は、毎週のように講壇に立っていましたから、あまり気にも止めませんでしたが、いよいよ退任近くになりますと、子供たちは毎週出席するようになったのです。親の最後の職務を見届けているのでしょう。大塚平安教会の最後の礼拝は、わざわざ帰国した羊子が礼拝の奏楽を担当させていただきました。礼拝献金をささげているときは、いつの間にか百合子が奏楽をしているのです。そして、最後の讃美歌は星子が奏楽をしていました。祝祷に続いて後奏がありますが、すばやく羊子が入れ替わって、力強く後奏を弾くのでした。礼拝に出席された皆さんは、子ども達三人が奏楽を担当したことに驚かれたようです。私も連れ合いのスミさんも、心の中は燃えるほどうれしかったと申し上げておきましょう。親思い、姉妹思いの子供たちを感謝しています。
<聖書の言葉>
わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。
(マタイによる福音書12章48節〜50節)