鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

昔からの机( 手紙を書きつつ )

 書斎の机の上は書類関係ですぐに積みあがってしまいます。現役で在任している頃は、毎日配達される郵便関係、作成する書類関係でいつも積みあがっていました。その都度整理すればよいのですが後回しにしてしまうのです。現役を引退しても、量は減少していますが、やはり同じように積みあがってしまうのです。追いかけられるようにして整理しているのですが。結局、いつまで置いても意味がない書類なのですが、そのままになることが多いのです。しかし、逆に、すぐに整理してしまった書類が、後になって参考文献としては貴重なものであったことを知り、後悔しきりの時もあるのです。書類関係が積みあがっているようですが、どの書類がどのあたりにあるかは知っています。だから、たまたま誰かさんが片づけたりすると、書類の居場所が分からなくなり、大騒ぎすることもあるのでした。
 ところで、書類を積み上げている机をしみじみと眺めました。もう55年以上の昔のものです。確か私が中学生の頃に、親が購入してくれたのです。色も変わらず、まだひかり輝いていることを思うと、歴史を証言しているようであります。神学校に入り、その後牧師になり、46年間故郷を後にしましたが、再び故郷に戻った時、迎えてくれたのがこの机でありました。この机の上にノートパソコンを置いていますので、机の上は随分と複雑になっていました。スペインにいる羊子が帰ってくると、そのパソコンを使ってスペインとの情報をやり取りしていますし、次女の星子が来たときも、やはりパソコンを使うのです。そういう時は、私は机に向かうことができず、隣室のベッドにひっくりかえって本を読んだりするのでした。
 それで思い立ち、机を二台設置したのです。自分で組み立てるものですが、簡単に組み立てられました。その二台の机の上にパソコン、プリンター、スキャナー、ファックス等を置きましたので、今までの机は再び書斎机になったのです。この机で執務していても、子供たちがパソコンを使うことができるようになったというわけです。もっとも、スペインの羊子はめったに帰国しないし、星子も百合子も毎週来ることもないので、ほとんどいくつかの机を独占していることになります。
 もう一つ机の思い出あります。大塚平安教会を退任するにあたり、記念として園児用の机と椅子をもらってきました。この机は大分古いものですが、表面的にはきれいに磨かれています。しかし、ひっくり返して裏を見れば、つぎはぎだらけです。ドレーパー記念幼稚園の園長として在任している頃、園児が使う机や椅子が古くなり、絵の具や手あかがしみこみ、むしろ汚らしい存在になっていました。そこで新調することになったのですが、刑務所に発注したのです。刑務所では受刑者が家具等の作業をしているところもあり、府中刑務所が引き受けてくれました。私が八王子医療刑務所教誨師でありましたので、発注にはすぐに応じてくれたのです。その時、見本として今まで使っていた机と椅子を渡しました。机は50台、椅子は100脚位の注文であったと思います。注文の机と椅子が幼稚園に届いた時、子供たちは大変喜びました。それだけに今までのものが汚れていたからです。刑務所は見本として渡した机と椅子をきれいに磨いてくれました。真新しくなりました。こんなにきれいになるのなら、今までのものを磨いて使えばよかったとも思うのでした。磨いてくれた机と椅子は、記念として園長室においておきました。古いものは知り合いの幼稚園等が引き取ってくれたのです。その机と椅子が、今ではこの書斎の一角に置かれ、いろいろなものを乗せる台にもなっています。この机と椅子を見るにつけ、今も子供たちが園生活を楽しんでいる姿が甦ってまいります。
 今はパソコンで文書を作りますが、手紙においてはペンを持って、便せんに書く喜びを持っています。私の生涯を象徴するようなこの古い机で、毎日お手紙を書くと致しましょう。
<聖書の言葉>
この手紙を筆記したわたしテルティオが、キリストに結ばれている者として、あなたがたに挨拶致します。
(ローマの信徒への手紙16章22節)