鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

奏でる楽器( 賛美の歌をうたいつつ )

 
 横浜本牧教会員の今村讃さんが「ハワイアン&フラ+スイスヨーデルを楽しむ会」のチケットをご恵贈くださいました。以前から催しについてご案内下さっていました。二週間前に改めてご案内のお手紙をくださり、チケットが同封されていました。無任所教師になって、日曜日の予定は礼拝に出席することの他は何もありません。連れ合いと共に出かけることにしたのです。今村讃さんがハワイアンのウクレレ奏者として出演されるからです。楽しく拝聴させていただきました。横浜本牧教会の皆さんも多数来場され、喜びの再開も与えられたのです。
青年の頃、清水ヶ丘教会に出席していました。青年たちがウクレレを奏でては讃美歌を歌ったり、楽しい歌を歌っていました。合唱指揮や作詞・作曲家として知られる奥山正夫さんが聖歌隊の指揮者でしたが、青年たちと共にウクレレで賛美していたことが思い出されます。刺激されて、私もウクレレを覚えようと楽器を購入したのですが、私はもともと音曲の方は向かないようで、いつの間にか辞めてしまいました。オカリナ、フルート等も試みましたが、天性の音曲不向きであったのでしょう。しかし、ハーモニカだけは何とか吹奏できるようになりました。ハーモニカを始めたのは小学校6年生の時でした。校内音楽発表会があり、クラスでは楽器の演奏をすることになりました。鉄琴、木琴、カスタネット、トライアングル、太鼓、シンバル等をアレンジしての演奏です。その頃、姉の友人が私にハーモニカをプレゼントしてくれました。早速、猛練習して、クラスの練習の時、ハーモニカで参加すると、先生は喜んでくださり、友達には羨望の思いを与えたようです。練習を重ねるうちにハーモニカで参加する友達が日毎に増えてきたのです。親に交渉した結果であるでしょう。だから発表会では10名位がハーモニカで演奏したのです。
 以来、時々ハーモニカを楽しむようになりましたが、牧会に着くようになってからは遠のいてしまいました。ハーモニカを吹く余裕がなかったというより、上手ではない音色を人に聞かれたくないと思ったからでしょう。人前では演奏したことがありません。自信がありませんでした。無任所教師になったので、また始めて見るかと思うのですが。元教団議長の小島誠志先生は、人前でも吹奏されていました。何かの会議で交わりの時があり、演奏される姿は、やはり自信があるからでしょう。本当にお上手でした。
 讃美歌は神様にささげる祈りですが、それと共に楽器を通してささげることも、大切なお祈りなのです。今日は宗教改革記念日です、改革を叫んだマルティン・ルターは優れた音楽家でもありました。宗教改革の中に新しい賛美の姿勢をも改革したということでしょう。作詞・作曲・編曲しつつ賛美歌集を発行しているのです。ルターの讃美歌は讃美歌21の中にも多く取り入れられています。作詞としては22番「深き悩みより」、50番「みことばもて主よ」、63番「天にいます父よ」、86番「世の罪除く」、160番「深き悩みより」、229番「いま来たりませ」、317番「主はわが罪ゆえ」、341番「来たれ聖霊、わが主よ」の讃美歌です。作詞・作曲は246番「天のかなたから」、377番「神はわが砦」の讃美歌があります。新しい信仰をもって神様に向かう時、新しい賛美が導かれて来るのです。
 青山教会で副牧師をしている頃、一人の青年が「お祈りさせてください」と訪ねて来ましたので、礼拝堂へと案内しました。事務室で執務していると、何やら礼拝堂でけたたましい声がするのです。急いで行ってみると、例の青年が、なんだか分からない言葉で叫びとも、唸るとも思える声を出しているのです。「神さまを賛美していました」と澄まして言うのです。確かに賛美していたのでしょう。それも賛美なのです。自分の姿勢で賛美すればよろしいことなのです。下手とか上手を気にしないで、戸棚の奥にあるハーモニカを 出してみるとしましょうか。
<聖書の言葉>
あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。
ヤコブの手紙5章13節)
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