鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

ささげる祈り( 願いと祈りと執り成しと )

 今日は一日、今までの残務整理をして過ごしました。台風が接近しており、太平洋側を通過しているようです。朝から雨が降り、風が吹いていました。雨が降らなければ散歩に出かけるのですが、今日は出かけられませんでした。実は、散歩用の靴を新調したので、この靴を履いて散歩したいのですが、残念ながら今日はできませんでした。昨日は振り込みをしなければならないので、追浜の横浜銀行まで新調の靴を履いて行きました。20分も歩けば行ける距離です。それでも新調した靴の軽快な感覚を楽しみながら歩きました。今日は2時間も歩いてみようと張り切っていたのですが。
 日本基督教団の書記の職務を終え、つらつら思い返す時に、やはり皆さんのお祈りのお支えを示されるのです。日本基督教団はすべての会議の始まりと終わりにはお祈りをささげます。また、議長や副議長が選任された時、今までの三役が退任する時、お祈りをささげています。8年前に選任されて書記に就任した時、一人の議員がお祈りをささげてくださり、二年毎に再選された時もお祈りがささげられました。そして、この度の退任の時にもお祈りがささげられたのです。そのことを思うと、この職務はお祈りに支えられて成し遂げることができたということでありましょう。祈りの支えこそ力であり、神様のお導きを知るのです。
 残務整理で一日を過ごし、夕食になりました。いつもはそれとなくテレビを見ながら、スミさんの話をそれとなく聞きながら食事をしています。今日は食卓の椅子に座ると、スミさんがお祈りすると言うのです。いつもは各自感謝していただき、時には乾杯していただくのですが、お祈りすると言うので、びっくりとは大げさですが、本当は当たり前のことですが、スミさんのお祈りに頭を垂れるのでした。今までもスミさんの提唱でお祈りしています。家族の誕生日の時、羊子が帰国して、再びスペインに赴く時は玄関先でお祈りしています。スミさんに求められてのことです。私の気持ちとしては、牧師でありながらも、家族であるので、なんとなくこそばゆい思いがありました。しかし、スミさんは時宜に適う時には、必ずお祈りを求めます。その姿勢にはいつも教えられているのです。
 スミさんのお祈りです。「天のお父様。この家は二人だけの生活ですが、いつも写真を掲げている両親、政次郎お父さん、ハナお母さん、美喜子お姉さん、光政お兄さんと共に生活しています。天におられる家族のみなさんをも祝福してください。三人の子供たちのそれぞれの生活をお支えください。連れ合いが今まで8年間、教団書記を成し遂げられた事を感謝します。大変なお仕事でありましたが、お支えくださいまして感謝致します。今まで関わって来た青山教会、陸前古川教会、登米教会、大塚平安教会、横浜本牧教会のみなさんをお支え導いてください。そして関わってきたドレーパー記念幼稚園、早苗幼稚園、綾瀬ホーム、さがみ野ホーム、刑務所、少年院等に関わる皆さんをお導き下さり、その働きを祝福してください」とお祈りしたのでした。
 今宵、特にお祈りしてくれたのは、教団書記の務めを退任したことからでもあります。書記の務めがいかに大変であるか、スミさんはよく知っていました。常議員会が終わると、いつもパソコンに向かい、記録を作り続けている様子、天候に関係なく教団に赴く様子等、私の苦労として受けとめていたのです。だから、職務が終わって、私以上に安堵の思いが強かったのでしょう。四期8年間を祈りつつ支えてくれたのです。祈り支えてくれているのは、教団の皆さんですが、一番近くにいる連れ合いのスミさんでありました。大塚平安教会の皆さんも祈りつつ私を神奈川教区議長、日本基督教団書記に送り出してくださったのです。祈り、祈られつつ歩む時、どちらにも神様のお導きがあるということであります。
<聖書の言葉>
願いと祈りと執り成しと感謝とを、すべての人々のためにささげなさい。
(テモテへの手紙<一>2章1節)