鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

親切な女子中学生( 霊の結ぶ実は愛 )

 
 今日は連れ合いのスミさんのお話を紹介しましょう。私は、今週は25日の月曜日から28日の木曜日まで日本基督教団の会議で不在でした。スミさんは26日に旧知のお友達と会い、美術展に出かけました。横浜美術館エドガー・ドガの展覧会が開催されていましたので、出かけたのでした。旧知のお友達は見上さんという方で、スミさんが昔、明治学院に勤めていたころからのお交わりでした。今日までお交わりを重ねながらも、たがいの安否を尋ねつつ歩んできたのです。美術鑑賞を終え、お茶をしてお別れしたのです。
 京急線金沢八景駅で降り、今日はぜひバスに乗りたいと思ったのです。横浜市は70歳以上の人は、ある程度の年費を払うとバスや市営地下鉄の無料券を発行してくれます。転居したのは今年の3月末ですが、横浜市の住民となったのは4年前になります。綾瀬市に住みながらも、現在の今までの家を建て替えたため、住所を移さなければなりませんでした。こちらに転居したとき、近所の方からバスや市営地下鉄の無料券のお話を聞き、ぜひ申請したいと思いました。それで区役所に行き、申請を行い、無料券が発行されたのでした。だから、一度この無料券でバスや市営地下鉄に乗ってみたいと思っていたのです。金沢八景駅の前の道路に面してバス停があります。自宅の近くのバス停は、そこから三つ目の「瀬が崎」バス停です。そのバス停から自宅までスミさんの足で20分くらい歩くことになります。自宅は交通の便がよくなく、京急線六浦駅」までも歩いて30分です。
 もはや夕刻7時を過ぎており、しかも雨が降っていました。バスに乗ったスミさんは、どうも異なる方向にバスが向かっていることに気づき、次のバス停で降りたのです。どうやら朝比奈方面に行くバスです。朝比奈方面は綾瀬に行くときや買い物に出かけるときに通っていますので、自分の行く方角ではないことに気付いたのです。さて、そこで降りたものの、どのように自宅に向かったらよいのか分かりません。スミさんはこの辺の地理は全く不案内です。道行く人に、自分が行くべき方向を尋ねました。教えられたように歩いて行きました。見覚えのないところに来てしまったようです。痛い腰をかばい、雨の中で途方に暮れていました。丁度、二人の女子中学生が歩いていましたので、道を尋ねました。二人の女の子は何やら話していましたが、こちらだと思いますと言って案内してくれたのです。案内されて歩いていると、見覚えのある風景になりました。だから、もう分かりましたからと言うのですが、二人は一緒について歩いてくれるのです。スミさんは腰が痛いので、いつもキャリーバッグに捕まるようにして歩いています。いかにも老婦人に見えたのでしょう。二人の女の子は自宅まで送ってくれたのです。一人の子は大道小学校方面ですから、全く反対の道を案内してくれたのです。
 スミさんを送ってくれた二人の親切な中学生は1年生で軽音楽部に属しており、部活を終えての帰り道でした。そのことを聞いたスミさんは、家に上がってもらいました。この家が音楽の家であったからです。一階のリビングにはアップライトのピアノが置いてあり、二階にはグランドピアノが置いてあることで、驚いていたようです。楽譜もびっしりと本棚に並んでいます。スミさんは二人の女の子に、娘の羊子のCDを御礼に差し上げたのです。スペインのピアノ曲を収めているものです。二人は分野が異なるにしても、大変喜んで受けてくれたのです。
 今まで教会では小さい子ども達、小学生や中学生の子供たちと触れ合っていました。だから子ども達については理解しているのですが、全体的に、今時の中学生、高校生についてはよく分かりません。何を考えているのかと言うことであります。しかし、時代が変わっても、基本的には人間性は変わることはないと思います。それを教えてくれたのが、今日の二人の中学生の親切でした。人間は人を思いやる心が基本的にあるのです。基本的に助け合う姿勢があるのです。次代を担う子供たちが、他の存在を受けとめつつ成長することを祈りたいのです。
<聖書の言葉>
霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。
(ガラテヤの信徒への手紙5章22節)