鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スミさんの原点( 神さまに育てられ )

  
 今日は日曜日です。以前でしたら、このような言い方はしないでしょう。日曜日は当たり前のように、礼拝がありますので、朝起きると共に礼拝に向けて一日が始まって行くのです。しかし、無任所教師となりましたので、牧師としての責任がなくなりました。改めて日曜日の過ごし方を決めなければなりません。
 今日は連れ合いのスミさんの出身教会である高輪教会の礼拝に出席しました。今までは所属の教会がありましたので出席できませんでしたが、今のうちに出身教会に出席し、感謝の礼拝をささげたいと思いました。それで、前週は私の出身、清水ヶ丘教会に出席したのです。今日はスミさんの出身教会です。品川駅から歩いても行かれますが、今はスミさんが腰を痛めているので、駅前からバスに乗りました。三つ目の停留所で降りると、そこが高輪教会です。着いたのは9時30分ですから、まだ教会学校が開かれていました。玄関付近でスミさんの知り合いに出会い、手を取り合って再会を喜んでいました。礼拝は100名位の出席でした。こちらの教会は歴史のある教会で、創立から128年も経ています。聖書は口語訳聖書であり、讃美歌は54年版を使用しています。やはり54年版の讃美歌は懐かしく、しみじみと賛美できるようです。礼拝が終わり、スミさんは昔からおられる皆さんと親しく再会を喜びあっていました。
 スミさんが高輪教会に出席し始めたのは20歳頃でした。明治学院の職員となり、平日は明治学院の礼拝、日曜日は高輪教会で礼拝をささげるようになりました。1年前に就任された中嶋房男牧師が、スミさんが礼拝ではいつも一番前に座るので、教会員かと思っていたということです。出席し始めて1年後のペンテコステ礼拝にて洗礼を受けたのです。それからは教会学校の教師になり、子供たちと共に歩みました。河野和雄先生よりオルガンの手ほどきを受け、一生懸命に練習しましたので、夕礼拝の奏楽を担当するようになりました。日本聖書神学校の指導者養成講座にも出席し、キリスト教について学びを深めたのです。中嶋房男先生、明治学院の武藤富男院長、日本聖書神学校の教務主任の太田俊雄先生等の出会いが、彼女をたくましく成長させたようです。(私の見るところですが。)神様のお導きで私と出会い、牧師のパートナーになり、今日までの40年間の歩みがありますが、彼女の基本は高輪教会であり、薫陶をいただいた出会いの先生方であり、教会員の皆さんとのお交わりでありました。
 昔からの教会の皆さんとのお話は尽きぬようでしたが、皆さんは集会等がありますので、教会を後にしたのでした。教会から少し歩くと明治学院です。スミさんが13年3ヶ月間勤めた場所です。思わず門を通り、学院の建物を見て回るのでした。昔からの建物がありました。チャペル、島村記念館は文化財に指定されており、歴史的な建物になっています。しかし、新しくできた、そびえるような建物もあり、変わりゆく佇まいをしみじみと眺めるのでした。礼拝堂も入って見学して来ました。これから結婚式が行われるということで準備が行われていました。学院の担当の方が親切に案内してくれました。新しく設置されたパイプオルガンが、古い礼拝堂において重厚な存在となっています。昔、招かれてこの礼拝堂で学生に向けての説教をしたことがあります。そんなことを思い出しながら、礼拝堂を後にしました。
 そこから目黒駅にバスで向かいました。目的があったのです。駅前に「とんき」という豚カツ屋さんがあるのです。実は、結婚前にそこで食事をすることしばしばであり、今日はぜひそこで食べたいと思いました。40年ぶりというわけです。残念ながら店の開店は午後4時からということでした。仕方なく目黒駅ビルで昼食を済ませたのでした。
今日は、昔、お交わりいただき、共に信仰の歩みをした皆さんとの再会があり、スミさんにとって、責任を果たしたような、お元気な皆さんを心から喜んだことでした。
<聖書の言葉>
この頭(キリスト)の働きにより、体全体は、節と節、筋と筋とによって支えられ、結びあわされ、神に育てられて成長してゆくのです。
(コロサイの信徒への手紙2章19節)

説教をお読みくださる方は
鈴木伸治・御言葉に向かう   で検索してください。または、URLは
http://d.hatena.ne.jp/noburahamu2/
いずれリンク集に入れます。