鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

チリの救出劇を喜ぶ( 主の歌がわたしと共にに )

  
 書斎で仕事をしていると、下の階で拍手がおき、私を呼んでいます。「助かったわよ」と言いつつなおも拍手しているのでした。下に行ってみると、テレビがチリ落盤事故で、深さ600メートルの地下に閉じ込められた作業員を救出したニュースが報道されていました。連れ合いのスミさんは涙を拭きながら見いっていました。この事故は8月5日におき、33人が地下の坑道に閉じ込められてしまったのです。落盤から70日目に救出することができたこと、「奇跡の生還」と報じています。世界中が見守っている救出作戦です。48時間以内に全員を救出するということですが、祈りつつ見守りましょう。まだ地下の坑道に残されている皆さんも、間もなく救出されるでしょう。神様のお守りとお励ましをお祈りしています。
 今日は、午前中は読書、教団の書記の仕事をしていました。お昼の時間はチリの救出劇をテレビで見ました。そして、午後からは散策に出かけました。昨日は野島公園に行き、「金沢八景」に思いを馳せたものですから、もう少し「金沢八景」を訪れたいと思いました。訪れると言っても、「金沢八景」は固定的な景色ではなく、流動的な景色ですから、訪れても景色はありません。でも流動的景色を醸し出す場所に行くことなのです。「平潟の落雁」、「乙艫帰帆」、「野島夕照」、「内川暮雪」は昨日の散策で訪れた場所です。今日は、「称名晩鐘」、「洲崎晴嵐」、「瀬戸秋月」を訪ねることにしました。もう一つ「小泉夜雨」がありますが、方角が異なるので、いずれ訪ねることにしました。
 自宅を1時20分に出ました。郵便局に用事があり、局前に「瀬が崎」のバス停があるので、そこから金沢八景前までバスに乗りました。降りてすぐの場所が瀬戸神社です。「瀬戸秋月」の場でもあるでしょう。そこから歩いて40分、「称名晩鐘」の称名寺につきました。何回か訪れたと思いますが、あまり思い出せません。池にまたがる橋を渡りつつ、なんとなく歩いた思い出がよみがえってきました。池のほとりに「称名晩鐘」がありました。ここでつかれる鐘の音が重々しい景色になったのでしょう。週日ではありましたが、見学者が結構いました。写生に来ているグループも何組がいました。高齢者とは失礼ですが、比較的年配の皆さんが絵筆をふるっていました。ガイドさんが観光客に説明しているくらいですから、かなり知られた場所なのです。称名寺の隣に神奈川県立「金沢文庫」があります。称名寺の由来や「金沢文庫」の由来を知ることができます。鎌倉時代の金沢北条氏の時代であると説明されており、重要文化財として「釈迦如来立像」がありました。境内地に茶店がありましたので、しばし休憩しました。
 茶店を3時に出発し、途中、「洲崎晴嵐」の須崎を通り、「枇杷島弁天」の社を覗き、まっすぐ家まで歩きました。今日一日で2時間は歩きました。牧師として職務を持っていましたら、こんな散策はできないでしょう。いつでも牧会の思いがあり、あの方、この方を心に示されつつ日々の歩みをしていたのです。牧会者である限り、教会の皆さんの歩みを共に担っているのです。従って、気を抜く時がないのです。以前のことですが、会議があり、終わってから食事となり、遅くなって帰宅しました。そして、間もなく横になったのですが、教会員から電話がありました。夫婦のいざこざがあり、いまだにいざこざが続いているので来ていただきたいとのことなのです。もはや夜中の12時です。疲れているし、早く休みたいとの思いがありましたが、牧師の訪問を心待ちにしているので、車を運転して訪問しました。奥さんは出てきませんでしたが、彼がお祈りしてくださいと言われるので、聖書を読み、お祈りをして帰って来たのです。どんなときにも対応できる状態でなければならないのが牧師なのです。そのような生活習慣から解放されたこと、喜んでもいますが、これで良いのだろうかとも思っているのです。むしろ、どこからも電話がないことの寂しさもあるようです。
<聖書の言葉>
昼、主は命じて慈しみをわたしに送り、夜、主の歌がわたしと共にある。わたしの命の神への祈りが。
詩編42編9節)