鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

野島公園散策( 祝福を祈りつつ )

  
 念願の散策を始めることにしました。思いは鎌倉散策ですが、それには3時間も歩かなければなりません。自宅から朝比奈峠、鎌倉古道を歩き、八幡宮までの散策です。今まであまり歩くことがなかったので、いきなり3時間歩くのはきついことです。それで鎌倉はあきらめ、足慣らしのために野島公園への散策としました。小学生のころは、この野島へはいつも歩いて遊びに行っていたのです。近所の「せいちゃん」のお父さんが舟大工さんで、野島に工場がありました。それで「せいちゃん」と共に野島に行き、舟遊びをしたのです。泳いだり、釣りをしたり、楽しい思い出がたくさんよみがえってきます。
 10時30分に家を出ました。12、3分歩くと関東学院です。関東学院は、今は川を前にしていますが、昔は平潟湾でした。金沢八景の一つが「平潟の落雁」という景色なのです。平潟湾を渡って行く雁の美しさが八景になりました。ついでに記せば金沢八景とは、「小泉夜雨」(こずみのやう)、「称名晩鐘」(しょうみょうのばんしょう)、「乙艫帰帆」(おっとものきはん)、「洲崎晴嵐」(すさきのせいらん)、「瀬戸秋月」(せとのしゅうげつ)、「平潟落雁」(ひらがたのらくがん)、「野島夕照」(のじまのせきしょう)、「内川暮雪」(うちかわのぼせつ)であります。固定的な景色ではなく、動きのある景色であるのです。
平潟湾に面している関東学院の、関東学院教会には日曜日になると日曜学校に通っていたのです。そのことについてはどこかで記していますし、いずれ書くことにしますが、関東学院を右に見つめつつ、左は元平潟湾の川を見つめつつ歩きます。昔は関東学院はこんなに大きくなかったとの思いですが、歩いても歩いても関東学院の建物、敷地が続くのでした。もはや野島の入口、八景の一つ「野島夕橋」の夕照橋かと思われるあたりで関東学院が途絶えるのでした。ここまで自宅から30分です。小さい頃、30分歩いてはこの界隈に遊びに来ていたのです。
夕照橋(ゆうしょうばし)は、昔は木の橋でしたが、今は鉄筋コンクリートで造られています。1985年に現在の橋が造られていますが、神奈川の橋100選の一つであるということです。この橋の欄干から下の海に飛び込みをして遊んだことも思い出されました。危険な遊びでもありました。欄干から水面まで7、8mはあるのです。橋を渡ると野島です。まさにここは島なのです。橋を渡らなければ行き来できない島であるのです。さらに進んでいくと広い野島公園になります。中心は野島山ですが、今日は登らないで、野島山の周囲が公園になっているので、公園を散策しました。ここには横浜市の青少年研修センターがあります。キャンプ場、バーベキュー場等もあります。海辺で釣りを楽しむこともできます。昨日の体育の日はおそらくにぎわったことでしょう。
野島海岸に石の階段があり、そこでしばし休みました。そこまでは自宅から50分です。この海岸は遠浅海岸で、引き潮になるとかなりの砂浜になります。アサリ堀をしたものです。今日は満潮でした。海の向うに八景島シーパラダイスが望まれます。シーサイドラインの電車が走るのが遠くに見えました。昔はこのような景色はありませんでした。15分くらい、昔に思いを馳せながら休憩し、帰路につきました。家に着いたのは12時30分でした。往復で1時間45分歩きました。これなら3時間は歩ける。丹沢登山では8時間は歩いたのですから。
アブラハムさんは神様の導きのままに故郷を後にしました。再び故郷に帰ることはありませんでした。そして聖書の民族の祝福の基となったのです。ノブラハムさんは牧師になって故郷を後にしました。しかし、約50年後に故郷に帰ってきました。だから祝福の基にはならないのです。祝福の基にはなりませんが、出会った人々の祝福を祈る基へと導かれているのです。
<聖書の言葉>
主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の基となるように。」
(創世記12章1-2節)