鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

運動会を参観して( やみくもに走らず )

  
 今日は「体育の日」として、月曜日ですがお休みです。10月からは無任所教師になり、職務がなくなりましたので、曜日の観念が薄れています。お休みでも、そうでなくても同じ気持ちで日々を歩んでいるということです。でも、ドレーパー記念幼稚園の理事会、理事長の職務があり、教団書記の職務があり、10月中はまだ職務が残されています。問題は11月からですが。
 今日は4月から9月まで園長であった早苗幼稚園の運動会です。前週土曜日の9日に開催が予定されていましたが、雨のため今日に延期されていました。今日は朝から快晴です。わずか半年間でしたが、お別れの時には全園児と握手していますので、彼らの応援をしなければなりません。それに、今日は横浜本牧教会で「リードオルガンを楽しむ会」が午後1時30分から開催されることになっており、奏楽者の皆さんが演奏されるので、拝聴させていただくことになっていました。運動会が延期され、同じ日になったことを喜んでいます。
 運動会会場は公立の大鳥小学校の校庭でした。初めて行くところです。連れ合いのスミさんを小学校前で降ろし、その辺りは駐車場がないので横浜本牧教会に戻り、そこに駐車しました。教会から小学校まで歩いて5、6分のところです。会場に行くと、すぐに私を見つけた園児が手を振ってくれました。数人のお友達が「エンチョウ センセー」と呼んでくれました。保護者の皆さんも会釈してくれました。本部席には新園長の森田裕明牧師がおり、子どもたちの演技に声援を送っていました。運動会は家族の皆さんが子どもの成長を喜び、共に競技に参加することができ、家族の良い触れ合いの時です。子ども達も家族の声援に応えて、一生懸命に競技する姿は、心が洗われる思いです。祝福された運動会でありました。運動会を通して子どもたち、家族の皆さんがいよいよ喜びの家族となることをお祈り致しました。
 前任の幼稚園では30年間子どもたちと共に運動会を楽しんで来ました。しかし、私自身は私の子どもたちの運動会には、あまり声援を送ってあげることができませんでした。子どもたちが3人揃って小学生になったのは、上が6年生、次が4年生、その次が1年生です。小学校の運動会はいつも日曜日に開催されていたのです。従って、礼拝があり、集会があり、運動会の会場に行くのは午後1時過ぎでした。運動会では家族と一緒にお弁当を食べるのが喜びなのです。それができなかったということです。子どもたちのいくつかの競技を見ることができましたが、しみじみと声援を送ってあげることができなかったことは、心残りがしています。子ども達も親の職務を理解と言うより、あきらめきっており、礼拝があるから父は来られないと思っているのです。その日の説教は他の牧師に依頼し、当日は礼拝を休んで運動会で声援を送る牧師、批判されるのでしょうか。
運動会ばかりでなく、子どもたちのピアノの発表会、吹奏楽部の演奏会等、いずれも日曜日は聴きに行ってあげられませんでした。牧師として止む無きことであると割り切っていましたが、今になって思うことは、何とかやりくりしてあげるべきだと思っています。今の若い牧師の皆さんには、ぜひ子どものためにやりくりしてあげて欲しいと思います。教会員の皆さんも礼拝中心主義で歩まれておられますが、中には礼拝を休んで、運動会に出かけ、朝から子どもの声援をする方もあるでしょう。批判されるどころか、「楽しかったですか」と感想を聞いたりするのです。「日曜日は教会へ」とお招きをしていますが、日曜日は何かと用事がある人が多いのです。青山教会時代、一人の長老さんは礼拝絶対主義であり、日曜日はだれも自宅には来ないと言われていました。ご夫婦は日曜日の礼拝に出席のため、いつも留守であり、御近所の方も営業関係の人も心得ているというのです。とにかく、この世のお休みの日は家族のふれあいの日であり、大切にしなければならないことを、今になって主張しているのです。
<聖書の言葉>
だから、わたしとしては、やみくもに走ったりしないで、空を打つような拳闘もしません。
(コリントの信徒への手紙<一>9章26節)