鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

おわかれのセレモニー(新しい出会いを重ねつつ)

 9月30日をもって横浜本牧教会代務者及び早苗幼稚園園長の職務を終了致しました。本日は幼稚園のお友達とのお別れ会でした。お別れにあたり、イエス様のお心をお話いたしました。「あなたがたは地の塩である」「あなたがたは世の光である」(マタイによる福音書5章13節以下)とイエス様が教えておられます。社会の中で塩のようなよい味を出すこと、すなわちお友達に喜ばれる人になること。そして、光のように明るい子どもになること。イエス様が教えておられる「自分を愛するように、お友達を愛する人になる」ということです。130名の園児の皆さんは、私を見つめながら聞いていました。お話を聞くことが上手になっている皆さんです。早苗幼稚園や前任のドレーパー記念幼稚園のお友達は、いつも礼拝で心を静かにして、イエス様のお話を聞いていますので、お話を聞く姿勢がちゃんとできているのです。素晴らしいことです。そして、いつも心を神様に向けることができるお友達なのです。
 お話が終わりましてから、お友達の心のこもった贈り物をいただきました。折り紙で作った花束でした。そのお花にはお別れの言葉も記されていました。そして、お友達一人一人と握手をしてお別れしたのです。「ありがとうございました」「イエスさまのおはなしをしてくれてありがとう」と丁寧に挨拶をしてくれるお友達もいました。お別れの会が終わり、園長室で整理をしていると、お友達が折り紙のお花をもってやってきました。次から次へとお友達がお花を持ってくるのです。その都度、「ありがとう」と言ってくれるのでした。短い期間でしたが、こんなに園長先生に心を向けてくださり、心からお礼を申し上げます。
 前週の日曜日は教会学校、教会のお別れ会がありました。やはり教会学校のお友達と一人一人握手をしてお別れをしました。幼小科、中高科の皆さんが色紙にサインをして贈ってくださいました。前任の大塚平安教会、子どもの教会、ドレーパー記念幼稚園のお別れの贈り物が部屋中に飾られており、さらに加えて横浜本牧教会の教会学校、教会、早苗幼稚園の皆さんからの贈り物が加わり、思い出に囲まれています。これらはお別れの贈り物ではなく、新しい出会いの印しと思うようになりました。皆さんのお名前が至るところに記されています。お名前を見てはお祈りが導かれてくるでしょう。「地の塩・世の光」として成長し、また歩まれることをお祈りしています。
 前週の日曜日は横浜本牧教会の皆さんがお別れの時を開いてくださいました。婦人会の皆さんが用意してくださった食事をいただきながら、皆さんの感謝のお言葉をいただいたのです。私の好物が「カツオのお刺身とお豆腐」であることを御存知なので、お豆腐のサラダを提供してくださったのです。おいしくいただき、心に深く刻まれました。お別れの会が終わりまして、皆さんがそれぞれ御挨拶をくださいました。特に若い皆さんが、ゆっくりお話をしたかったと言われ、まさにそのような時間が取れなかったことを、私自身も残念に思います。このことも新しい出会いであると思っています。お別れは新しい出会いなのです。そして、お別れはお祈りが導かれるのです。そうであれば、老後の人生は祈りの日々ということになります。知的後退になっている暇はありません。飾られている贈り物を見てはお名前を思い出し、お祈りするのです。この出会いは神様が導いてくださったのですから、そして祈ることを導いてくださったのですから、神様のお言いつけとして祈りの日々が導かれるでしょう。
 新約聖書の中にパウロの「よろしく」の挨拶がありますが、この挨拶は私の愛読聖書です。ローマの信徒への手紙16章に「個人的な挨拶」として、パウロがいろいろな人々をあげ、それらの人々に「よろしく」と記しています。一人一人の名をあげては祈りつつ、人々に紹介し、信仰の交わりが深められるようにお祈りしているのです。私も出会って皆さんを思い出しては「よろしく」と申しましょう。「新しく出会った皆さんによろしく」と挨拶を送ります。
<聖書の言葉>
「キリストのすべての教会があなたがたによろしくと言っています。」
(ローマの信徒への手紙16章16節)