鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

葬儀考(葬儀を指し示しつつ)

 昨日、9月27日はさがみ野ホーム利用者の告別式の司式を行いました。召天された方は31年間さがみ野ホームで生活し、77歳で召天されたのです。さがみ野ホームの生活ではいろいろな趣味に取り組み、皆さんと共に幸せに過ごしたことでした。さがみ野ホームでは9月19日に召天者記念礼拝をしたばかりです。その礼拝でお話したことは、利用者の皆さんが祝福の生活であるということです。職員の支援を受けながら、安心して生活することができます。好きなことに取り組み、時には旅行等にも出かけ、日々の生活を喜びつつ歩むことができるのです。召天者記念礼拝では、天におられる皆さんの写真を飾り、式次第には一人一人のプロフィールが記されています。職員の方が召天された皆さんのプロフィールを読み、改めて心に示されるのでした。「皆さんは、本当に幸せですよ。さがみ野ホームで安心して生活しているのです。毎日、楽しいことをしながら過ごしています。やがて私たちは天国に迎えられますが、このようにいつまでも写真が飾られ、お人柄を改めて紹介され、いつまでも皆さんに覚えられるのです。皆さんがこの世に生きて、幸せに過ごしたことがいつまでも人々の心に示されるということです。だから、これからも週に一度の礼拝で、いつもイエス様により、神様のお心をいただき、みんなで見つめ合いながら過ごしましょう」というお話をしました。
 式場は興伸典礼寺尾会館で執り行われました。この式場は大塚平安教会より車で5分もあれば行かれるところです。教会から近いので便利でした。この興伸典礼とは付き合いも長く、1979年に大塚平安教会に就任してから間もなく綾瀬ホームの利用者が召天された時に、ホームがこの葬儀社に依頼したのです。それからはホームはもちろんですが、大塚平安教会の葬儀にしても個人的な葬儀にしてもこの葬儀社に依頼しています。最初の頃は初代の社長さんでしたが、今は二代目の方が運営しています。年に数回の葬儀があり、何もかも心得ているので、私の方で何も言わなくても、キリスト教の葬儀の準備をしてくれるのでした。ある時、興伸典礼の方から、葬儀の司式依頼をして来ました。葬儀を依頼されたが、仏教ではなくキリスト教で行いたいという家があり、亡くなった方はクリスチャンではありませんが、家族がキリスト教で行いたいとの希望であるというのです。面識もないことでしたが、司式を行いました。キリスト教は、教会にも出席したことのない皆さんであり、初めての皆さんに主イエス・キリストの救い、福音をお話することができました。まさに葬儀は伝道であります。その家族が教会に来るようになれば、それこそ伝道の成果ですが、大塚平安教会に来なくても、皆さんに福音の種が蒔かれたのであります。
 大塚平安教会の教会員のお連れ合い、ご主人様がなくなり、連絡がありましたのでお宅に伺いました。そこにはご子息がおられ、父親の葬儀をキリスト教で行うことには不服でありました。赤いお顔で私と母上の相談を聞いていました。母上の意思が固いので、キリスト教の葬儀に従ったのです。しかし、前夜式、告別式を行う中で、次第にご子息の気持ちがほぐれてきたようです。むしろ、キリスト教の葬儀を喜んでくれました。大塚平安教会の墓地に埋葬することも同意されたのです。やがて、数年後に母上が亡くなったとき、ご子息がすぐに牧師に連絡されたのです。母上の信仰に従いキリスト教葬儀を行うことに異存はありませんでした。墓誌に父上のお名前が刻まれていますが、その横に母上のお名前を刻みました。父上のお名前の後は別の墓誌を建てています。しかし、父上の横には無理すれば一人のお名前を刻むことができるので、そこに母上のお名前を刻んだのでした。そのこともご子息はお喜びでした。毎年、11月の召天者記念礼拝になると献金をお送りくださっています。葬儀で出会った忘れられない方であります。
<聖書の言葉>
ヤコブは息子たちに命じた。『間もなくわたしは、先祖の列に加えられる。わたしをヘト人エフロンの畑にある洞穴に、先祖たちと共に葬ってほしい。』」(創世記49章29節)