鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

神様の愛…(テレフォンメッセージ 9 )

テレフォンメッセージより。
 
「神さまの愛」
大塚平安教会はイエスさまのお心をいただきつつ歩む群れですが、子ども達も幼くしてイエス様のお心を示され、祝福の成長が導かれるよう幼稚園を設立しました。今年で42年を経ております。最初は宗教法人の幼稚園でしたが、今は学校法人の幼稚園となっております。設置主体が異なりますが、教会は常に背後にあって幼稚園を祈っております。祈ると言うのは、子ども達が祝福の成長を導かれることなのです。まさにドレーパー記念幼稚園の子ども達は祝福の成長へと導かれております。
毎年2月になると、園長は卒業する年長組の子ども達とお弁当を食べます。一グループ5人の子ども達が園長室にやってきます。そして一緒にお弁当を食べるのですが、いつもとは環境の違う場所で食べるので、とてもうれしいようです。おしゃべりばかりしてなかなか食べない子もいます。珍しくて部屋中を見まわしてばかりいる子どももいます。障害をもつ子どももいますが、隣に座ったお友達が何かとお世話してあげる姿は、感動すら覚えます。このお友だちはこういう姿であるということをしっかりと受け止めているのです。わざとらしさも無く、ごく自然に手を差し延べているのです。来る時も帰るときも、支えてあげているのでした。お友達をしっかりと受け止めて成長している姿を示されました。キリスト教主義の幼稚園として、繰り返しイエス様のお心、お友達を愛して生きることを示されました。2年間、3年間の生活はイエス様のお心は子ども達の血となり肉となっているのです。昔、他の幼稚園から転園してきた子どもがいました。障害をもつお友達と一度も出会わなかったのでしょう。出た言葉が「馬鹿」と言う掛け言葉でした。しかし、この子も障害をもつお友達と共に過ごすうちに、共に歩むことが導かれてきたのです。どんなお友達をも受け止め、共に過ごすことのできる子どもたちに成長しているのです。
神様は私たちが何者であろうとも、しっかりと受け止めてくださっているのです。そして、イエスさまを十字架にお架けになり、私たちの悪なる姿を無くし、真実の歩みを導いて下さるのです。これが神さまの愛なのです。
聖書の言葉
「キリストが私達の為に死んで下さったことにより、神は私達に対する愛を示されました。」
(ローマの信徒への手紙5章8節)