鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

十字架の道…(テレフォンメッセージ 8 )

テレフォンメッセージより。
 
「十字架の道」
前週の25日は灰の水曜日と言う日でした。四旬節、受難節、レントがこの日から始まるのです。この日からイエス・キリストの受難を見つめつつ歩むのです。西洋ではカーニバルが行われますが、それは灰の水曜日の前日になります。おいしいものをたくさん食べて、思いっきり楽しいことをして過ごします。しかし、翌日からは普通の生活ですが、質素に生活をするのです。日本のキリスト教でも、昔は克己の生活をしました。この期間はコーヒーを飲まないとか、一区間の電車やバスは歩くとかしてイエス様の苦難に預かるのです。四旬節は4月10日まで続きます。4月11日がイースターです。イースター前の一週間を受難週と言います。イエス様が捕らえられるのが木曜日の夜で、十字架にかけられて殺されるのが金曜日です。そして三日目に復活されるのです。受難節、四旬節、レントは40日間続きます。イエス様が十字架にお架かりになったことを深く受け止めるのです。イエス様が十字架にお架かりになるのは、私たちの罪、悪を滅ぼすためです。人間は切磋琢磨して自分を管理し、良き者にすることができます。しかし、最後の一点はできないのです。自己満足を滅ぼすと言うことです。自己満足そのものは罪でも悪でもありません。自己満足があって作品を作り上げるからです。しかし、その自己満足が他者を排除し、傷つけていくのです。人間は生涯にわたりこの姿と戦います。人間がどうしても自己満足を取り去ることができないので、イエス様は十字架にお架かりになり、ご自分の死と共に人間の自己満足を滅ぼされたのでした。わたしたちは十字架を仰ぎ見て、イエス様の救いの業を示されるのです。十字架を仰ぎ見るほどに私たちの永遠の命が深まってくるのです。

聖書の言葉
「今、私達はエルサレムへ上っていく。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。」
ルカによる福音書18章31節)