鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

聖書の教えに専念し…(牧師会 )

今日は夕刻5時30分から湘北地区の牧師会が当教会で開かれました。神奈川教区には五つの地区があります。川崎・鶴見地区、横浜地区、東湘南地区、西湘南地区、そして湘北地区です。湘北地区は大和、相模原、海老名、座間、伊勢原、秦野、厚木の各市にある17教会です。牧師会は隔月に開かれています。学びと情報交換等をしています。私は牧師会にはほとんど出席できずにいます。教会の職務は皆さんも同じことですが、幼稚園、教団、刑務所、施設、少年院等の職務があり、出席できないことが多いのです。もっとも日程的に出席できる日もありますが、前後の日程の関係で失礼してしまうこともあるのです。それで、少なくとも3月の牧師会は大塚平安教会で開催してもらっているのです。従って、年に一度しか出席してない状況です。
今回は13名が出席しました。現職の牧師と共に隠退した教師も共に出席します。13名中4名が隠退教師でした。現職の牧師はそれぞれ都合があって半分の出席でした。いつもは学びのときがありますが、私が担当した礼拝の後は、いろいろと懇談のときでした。来年度の予定とか、地区内で隠退する牧師がいるので、代務者をどなたにお願いするかの相談もありました。それぞれの牧師は孤軍奮闘している場合があり、このように牧師会があると、牧師同士の話として、胸のうちを話し合うことができるのです。
孤軍奮闘と言えば、前任の教会はまさにそのような言葉で言い表せたかもしれません。簡単に隣の教会にはいけません。電車やバスで行っても乗り継ぎ時間等で1時間以上はかかるのです。東北の宮城県、仙台の北を仙北地区と称し7教会が点在していました。その地区でも牧師会が開かれていました。お昼の時間に合わせないと帰れなくなります。当地のように夕刻に開催しても何とか帰ることができるのです。牧師会ではいろいろな課題を先輩の牧師に相談することができます。教会では信徒の皆さんにはお話できないこともあり、その意味では牧師会は牧師にとって、特に若い牧師にとっては力を与えられる集いでありました。その頃、私は34、5歳で東北の教会に赴任したのです。牧師の経験が浅く、孤軍奮闘しつつ、先輩牧師の助言をいただきながら職務に励んだのでした。
その仙北地区では牧師会と共に牧師の家族会も開いていました。毎年、クリスマスが終わった年末に鳴子温泉に集まります。小さい子どもを持つ牧師が数人いたので、家族の交わりをすることになったのでした。夕食を共にし、温泉で楽しみます。そして、翌日はスキーやソリ遊びをするのでした。私はそれまでスキーをしたことが無く、ひとつやってみようかと思いました。そしたら、連れ合いのスミさんからきつく止められてしまいました。足でも折ったら、帰りの車を誰が運転するのか、というわけです。結局、子ども達もスミさんもゲレンデで楽しく雪遊びをしているのに、私は小屋の中でストーブにあたっていたというわけです。
地方の牧師は孤軍奮闘するので、先輩の牧師たちが心に留めて励ましてくれます。私は宮城県でしたが、同じ東北教区の山形の牧師が、何かと心にかけてくれました。さくらんぼの季節に、ぜひ遊びに来なさいといわれ、家族で山形の天童まで行きました。おいしいおそばをいただき、さくらんぼ狩りをして、子ども達も大喜びでした。家族のひとときの休息を与えてくれたその牧師は、今は天におられますが、牧師の牧師として尊敬しています。そして、示されていることは、その尊敬する牧師の年齢に私もなっているので、若い牧師の力になってあげる思いをもっているのです。
牧師はいろいろな皆さんの相談にのります。いろいろな生き方を示されます。お話しをいただいたことは、ただこの胸の内に収めています。そして、そのことのためにいつもお祈りしています。牧師も一人の人間であり、牧師の悩みや課題は先輩や同労の牧師が助言し、指針を与えてくれるのです。牧師会の意味はそこにあると思っています。
聖書の言葉
「聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。」(テモテへの手紙<一>4章13節)