鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

目を注ぎ、耳を傾ける主…(新報談話 2  )

木曜日は綾瀬ホームの礼拝です。職員礼拝と利用者の礼拝を皆さんと一緒にささげました。教会に戻り、今度は家庭集会です。今日は座間立野台地区の家庭集会です。その家庭集会に横浜市に住んでおられる方が出席されることになり、遠くから教会にお寄りになり、一緒に車で向かいました。家庭を提供してくださる方が、死ぬまでに一度は来てくださいと言われたそうです。家庭を開放してくださる方の信仰を深く受け止めておられるのです。集会は聖書を輪読し、牧師の奨励がおこなわれ、その後は懇談をいたしました。おいしいお昼の食事をいただいてから帰ることになりました。横浜市の遠くから出席してくださった方には、信仰のお交わりを心から感謝したのでした。
今日の日記は以上にとどめ、新報に談話として記したことを掲載させていただきます。
 
「いまそなえる」(新報第4563号 2004年10月2日)
「うちってお金持ちなの」と小学校二年生の娘が言う。「友達が、あんたちって、日曜日に献金が入るから、お金がいっぱいあるでしょ」と言われたそうだ。献金はイエス様におささげするのであり、イエス様が大切なことのためにつかってくださるんだよ、と諭すのだった。
春に看護婦さんの学校を卒業し、准看として勤めている女子青年から献金が送られてきた。初めての給料を前にして、心を躍らせながら、使途につき考える。まず世話になっている両親の分、洋服を買う分、芝居研究会の会費や観劇費、本代等、そして弟のお小遣いも。これで良いかなと思って、給料をそれぞれの袋に仕分けして入れる。その時、ハッと思う。そうだ献金をささげなきゃあ。始めからやり直してみる。これも必要、あのことも必要、そして献金は。いくらも残らない。献金はイエス様におささげするんです、と言われている。これだけじゃあ、イエス様に申し訳ないと思う。でも、何回配分しても献金は少ない。もう一度配分しようとしたとき、そうだ最初に献金を取ろう。それで配分した結果、交際費が随分と少なくなった。「気持ちが変わらないうちに、献金を送ります。イエス様におささげください」としたためてあった。今日は教団三役会。教団財政報告や年金局の課題等を聞くことになっている。
 
 「いつくしみふかき」(新報  2005年4月)
「先生、牧師さんになるにはどうしたらよいですか」と聞かれた。刑務所で教誨を行っているときである。月に一度、刑務所に出かけ、キリスト教を希望する皆さんと聖書を読むひとときを持っている。まず30分間は聖書を輪読し、簡単な説明を行う。その後の30分は懇談の時としている。読んだ聖書について、キリスト教全般について等の質問がある。牧師への道の質問は、何よりも教会に行き、信仰生活を始めることであると答えたが、教誨を受ける皆さんにとって、そんなに牧師の姿がよいのであろうか。教誨の時間ではなるべくお話しができるようにしている。服役中私語は禁じられているし、ましてや歌などうたえない。讃美歌は間違えても良いから大きな声で歌うように促している。「今月末に出所します。今まで良いお話をありがとうございました」と丁寧に礼を述べる人もいる。社会復帰し、主の道を歩むことを祈る。
この刑務所は10人の教誨師がいるが、神父、宮司、牧師の他はみな僧侶である。刑務所におけるキリスト教の光を消さないようにしたい。キリスト教教誨を心待ちにしている人のためにも。教団には教誨事業協力会という任意の組織があり、約90人の教誨師がいる。連絡しあい、研修をしている。教誨師の働きを覚えたい。
自分の赤ちゃんを殺してしまったと言い泣き続ける女性の服役者は、「いつくしみふかき」の讃美歌に全身を向けているのであった。
聖書の言葉
「主は、従う人に目を注ぎ、助けを求める叫びに耳を傾けてくださる。」(詩編34編16節)