鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

絶えず祈りなさい…(主の祈り)

幼稚園では星組の会堂礼拝が行われました。星組は年長組で、まもなく卒業です。3月17日が卒業式なので、後二週間の園生活なのです。会堂礼拝は月に一度、教会の礼拝堂で行います。4月から行ってきましたが、今日でおしまいです。この会堂礼拝では「主の祈り」についてお話をしてきました。今までのまとめと、今後も「主の祈り」を祈りつつ歩むよう励ましたのでした。子ども達は「主の祈り」をすでに覚えていますので、最後に声を合わせてお祈りしたのでした。
「主の祈り」はイエス・キリストがお弟子さん達に教えたものです。この祈りは、祈りの基本的なことが示されています。
「主の祈り」
天にまします我らの父よ
願わくはみな名をあがめさせたまえ
み国を来らせたまえ
みこころの天になるごとく
地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を
我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救い出したまえ
国とちからと栄えとは
限りなく汝のものなればなり
アーメン
 
「主の祈り」は神様のお心が地上に行き渡り、一人ひとりが幸せに生きることをお祈りしています。そして、「日用の糧」を与えて下さるように願っています。「日用の糧」は日々の食べ物ですが、お腹を満たす食べ物と共に、心を満たす神様のお心なのです。霊肉ともどもに満たされて日々の生活をすることが大切なのです。そして、この「主の祈り」の大切なことは、常に「我ら」と言いつつ祈っているのです。「私に」ではなく「我ら」なのです。自分と共にあの人も、この人も共に求めているのです。常に自分と共に隣人を含めて神様にお祈りしているのです。従って、この「主の祈り」は取り成しのお祈りとも言えるでしょう。
大塚平安教会は毎年6月の第二日曜日に子どもの教会と合同礼拝を行っています。子どもの教会に出席する子ども達、幼稚園児や小学生の皆さんが、大人の皆さんと礼拝をいたします。その時、一緒に「主の祈り」を祈ります。幼児から高齢者まで、心を合わせて祈るとき、神様の豊かな祝福に満たされているのです。
小学校に進むと、もう礼拝はありません。幼稚園ではいつも先生がお祈りをして、始まっています。食事の前には感謝の讃美歌を歌い、お祈りをしていただいています。合同礼拝で聖書の言葉を聞きます。また、聖書のお話があります。しかし、小学校ではお祈りも無く、讃美歌も歌いません。次第に忘れていくのでしょう。しかし、「主の祈り」は心の深くに示されております。だから、小学校に進んでも、一人で「主の祈り」をお祈りするよう励ましたのでした。「主の祈り」を祈る限り、必ずお友達と祝福の歩みが導かれるでしょう。
聖書の言葉
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」(テサロニケの信徒への手紙<一>5章16-18節)