鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

これらのことが書かれたのは…(蔵書を見つめながら)

月に二回ほどキリスト教書店が来てくれます。注文した本を持ってきてくれると共に、新しく出版された本も持ってきてくれるので、どんな本が出版されたのか知ることができます。以前は結構買い求めていましたが、書店には申し訳ないのですが、新刊を目の前に並べられても、ほとんど買うことはありません。キリスト教書店の社長さんも私の年齢を心得ており、買わないことは分かっているのです。彼自身、私と同じような年齢なので、私の気持ちをよく理解しています。若い頃から集めていた本は、年齢を増した今、果たして読めるのかと思うのです。今まで随分と必要と思われる本を揃えてきました。しかし、この年齢になって、そしてこれからの自分を考えるとき、この書棚に埋まった本を読みこなせるかと、つくづく思うのでした。おそらくいくらも読まないでしょう。むしろパソコンを開いている時間のほうが多いのではないかと思っています。
神奈川教区内の知人の牧師が3月で教会を辞任し、隠退されることになりました。つい先日も彼と会い、いろいろとお話しました。今は引越しの準備で忙しいとのことでした。以前、隠退後のために自分の家を用意していたので、そちらへと荷物を運び出しているということでした。一番困るのは書籍の山とのことでした。ブックオフにきてもらって持っていってもらいましたが、キリスト教の本は駄目とのことらしいです。一般の本をかなりもっていきましたが、3,000円にもならなかったとのことでした。それで止む無く捨てているというのです。今は知人に本をあげても喜ばれない状況です。
私自身も数年後の隠退を考えており、この本の山をどうしようかと思案しているところでした。その中で、どうしても処分できない本があるのです。神学校を卒業し、牧師の道を歩み始めたとき、やはり本が必要でした。その頃、神学生の間で、少なくとも牧師の書棚にはインタープリターズバイブルが無くてはならない、なんていわれていました。説教を準備するための洋書です。神学生時代は買えませんでした。その頃、1ドル360円しましたから、旧約と新約を揃えるとかなりの額になったのです。結婚しても、スミさんが明治学院に勤めていましたので、教会からいただく謝儀より3倍も多い給料をいただいていたので、スミさんに買ってもらったのです。分厚い本が10巻くらいあったと思います(実家に運んでしまったので何冊であったか不明)。更に、インタープリターズバイブルディクショナリーも買ってもらいました。これは4分冊です。思い出深いので、これは死ぬまで手放さないと思っております。手放さない本は他にもあります。山本周五郎全集については、全部は読んではいませんが、これは隠退したら再び読もうと思っています。藤沢周平の小説も愛読しています。全集が出たら揃えたいと思っていますが、書棚にあるのは文庫本ばかりです。会議等で出かけるときには、鞄の中に藤沢周平の文庫本を入れているのでした。後はドストエフスキー全集、岩波講座「哲学」、岩波講座「文学」、岩波書店の「世界歴史」および「日本歴史」等も手元においておきたいです。これだけでもかなりの収納スペースが必要です。結局、何やかやで処分できないのでしょうか。
どうも、私は気が多いので、本棚は多方面にわたっています。もう割り切ってキリスト教関係の本だけにしようと思っているのですが。こんなに本を抱えていては、家族に迷惑をかけるわけです。知人の牧師が末期の癌になり、その牧師をお見舞いしたとき、死ぬことが分かっていて、思い残すのは蔵書の始末であるといっていました。教会の皆さんが、教区総会に持って行き、いろいろな人たちに買っていただいているというのです。無料であげても良いのですが、蔵書を売って少しでも教会に献金したいというのでした。
牧師として本を読み、知識を増し加えながら今日まで歩んできたのです。お世話になった本に対しては手厚く労をねぎらいましょう。
聖書の言葉
「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」(ヨハネによる福音書20章31節)