鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

父である神に感謝し…(幼稚園の理事の皆さん)

昨日は理事会について書き始めましたら、結局、学校法人大塚平安学園の設立の経緯を記すことになり、「合意事項」を記しましたので、他のことは割愛しました。それで、昨日書いておくべきことを今日の日記に記すことにしました。
理事会では前回の議事録に署名、捺印をいたします。この議事録は案を事前に送ります。議事録確定書を同封します。そこには、「原案を確定する」「別紙の修正をもって確定する」とあり、修正事項を記入することになっています。従って、理事会で議事録に署名、捺印するのは議事録が確定されているのです。
ところで、前回の理事会は2006年9月30日に開催されましたが、丁度、第100回となりました。学校法人大塚平安学園として発足し、第1回の理事会は1977年1月23日、これは「学校法人大塚平安学園発起人会決議録」として記録されているので、理事会はその会議をもって始まっています。そのときの理事は、乙幡和雄(理事長)、伊藤忠利、井上フサ子、津田喜一郎、渡辺いづみ、佐竹敬、井馬美恵、監事は越文子、大矢幸男の皆さんでした。それに対して、現在の理事は、鈴木伸治(理事長)、井上フサ子、大矢伯文、佐竹敬、佐竹順子、杉野信一郎、角田敏太郎、監事は伊藤幸雄、寺尾鉄男の皆さんです。創立当初より現在まで理事を務めてくださっているのは井上フサ子さんと佐竹敬さんです。30年間、100回の理事会を担ってくださり、心から感謝しております。もちろん、途中で退任された理事の皆さんにも感謝を申し上げます。このうち、伊藤忠利、越文子両氏は召天されています。伊藤忠利先生は相模原教会の牧師であり、宗教法人幼稚園の設立から関わってくださり、幼稚園の歩みを支えてくださいました。監事の越文子さんは大塚平安教会の教会員であり、やはり設立からご尽力くださったのです。
100回の理事会にあたり、今日まで理事として担った井上フサ子さんと佐竹敬さんに、何か記念となることをして差し上げるべきだと意見があり、そのことに気がつかなかったことを悔いています。検討することにしました。
1987年6月7日に幼稚園創立25周年記念式を開催しました。そのとき、幼稚園の運営にご尽力くださった方々に感謝状を贈呈しました。そのお一人の方が伊藤忠利先生でした。しかし、先生はご病気入院中でありましたので欠席でした。それで、後日、先生が入院されている病院にお訪ねしました。お見舞いと共に感謝状をお渡しするためです。25周年記念式について報告し、感謝状をお持ちしましたと述べ、感謝状をそのままお渡ししたのです。すると、先生は感謝状はお読みになってくださるものではないですか、と言われました。確かにその通りです。至らない私を反省しました。それで私が先生のベットの前に起立し、感謝状を読もうとすると、ちょっとお待ちくださいと言われ、先生は病床のお体を起こし、ベットに正座されました。そこで、私は声を大にして感謝状を読み上げました。先生は押し頂くように感謝状をお受け取り下さったのです。病室は四人部屋で、同じ部屋で療養されている三人の方が大きな拍手を贈ってくれました。その後、しばらくしてから伊藤先生は召天されたのでした。感謝状をお渡しすることが出来たことを喜んだ次第です。
多くの皆さんが協力くださってドレーパー記念幼稚園の存続が導かれています。2月10日に開催された理事会では今後の幼稚園の方向を決めました。新しい方針については新年度が始まってから記すことにいたしましょう。
聖書の言葉
「そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。」(エフェソの信徒への手紙5書20節)