鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

主に仕えるとは…(忙中閑詩 17 )

今日は、連れ合いのスミさんが、桜本教会が行っている路上生活者支援活動の手伝いに行くというので、午前7時前にスミさんと共に一緒に行かれる谷村勝子さんを相鉄線さがみ野駅まで車で送りました。その後、朝食を取り、午前8時には綾瀬ホームへ向かいました。8時30分からの礼拝です。職員礼拝、利用者礼拝を行い、終わってからお茶をいただき、教会に帰ってきたのは10時前でした。幼稚園に顔を出し、事務的な打ち合わせをして、家庭集会に向かいました。今日は座間立野台地区の松本栄子さんのお宅で開かれました。集会が終わって、おいしい昼食をいただき、午後1時前には教会に戻りました。今日は実家に所要があったので午後から出かけました。記録しておくべき特段のことがないので、昔の牧会詩を記しておくことにいたします。
「主の十字架」

わたしたちが食べている今も
安らかに眠っている夜も
銃火の中をさまよい歩き
飢えと空腹にさいなまされ
たえて生きる人々がある
望みなく生きる人々がある

わたしたちが楽しくすごす今
友とくつろぎ歌うたうとき
道にたおれて血を流しつつ
助けてくれることを待つ
たえて生きる人々がある
ただじっと待つ人々がある

ときを忘れて働いている
自分をなくして生きている
いつでもどこでも何もかも
忘れて思わないことがない
「これらの小さい者たちへ」と
言われた主イエスのみことばを

主の十字架はこの日今
主の十字架はそのために
主の十字架は立っている
わたしが真実生きるため
わたしが友と生きるため
わたしが十字架負うために
(1981年4月12日 大塚平安教会週報)

聖書の言葉
「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイによる福音書25章40節)