鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

わたしには金銀はないが…(悪魔と呼ばれたこと )

昨日の夜、9時頃に来客があり、連れ合いのスミさんが応対しました。ちょっとした知り合いの方です。その方が、今、急にお金が必要であり、貸していただきたいとのことでした。1万5千円というので、その位なら手持ち金がありましたので用立ててあげました。後でお返しに上がると言われていることは真実でしょう。この方の場合は、急なことで、やむなく教会に来られたのでした。
教会には金銭を求めてくる人がいます。いろいろと理由を言います。財布を落としてしまって、高崎まで帰る切符が買えないので、貸してもらいたい。必ず返しますと言われます。それまでに同じような内容で、実際に貸してあげましたが、返しに来られた人はいません。東北の教会にいる頃も随分とだまされました。仙台の北の古川市陸羽東線で、東北本線の小牛田から新庄に向かう線でした。本線から引っ込んでいる線なのにやってくるのです。電車の中で財布をすられたので、東京まで帰らなければならず、貸していただきたいと言います。用心して、その人の身内の人に電話することにしました。かけた相手はその人の身内だと言っていました。それで信用したのですが、更に持っている鞄や時計も置いていくというのです。35年前のことですが、1万円を貸してあげました。もちろん返しにも来ませんし、送っても来ませんでした。置いて行った時計はしばらく使っていたと思います。これも盗品なのかもしれません。何回もだまされていると、この類の人が来ると、最初から疑ってしまうのです。やはり古川時代ですが、お金を求めてきたので、あげられない旨を伝えました。あきらめて帰るときに、水を所望されましたので、コップで差し出すと、ゆっくりと飲み、そしてゆっくりと帰っていきました。後ろ姿を見ながら、いくらかでもあげれば良かったと後悔みたいな気持ちがありました。
大塚平安教会に赴任してからは、古川以上にそのような人が教会に来ます。だまされていることを知りながら、ついお金を上げてしまうのです。連れ合いのスミさんは、もっと毅然とした態度で断るべきだといいます。そう言いながら、自分だってお金や食べ物を上げているのです。今でも苦々しく思い出すのは、私を悪魔と叫びながら帰っていったことです。確か、日曜日の午後でした。玄関に来客と言われて応対しました。「この教会は福祉に力を入れていると思う」と切り出しました。そうであれば、自分にいくらかのお金を貸してもらいたいというのです。「福祉に力を入れていることと、あなたにお金を貸すこととは別の問題でしょう」と言いました。社会の人々を救済するのが福祉であり、自分のようなものも救済してもらいたいというのです。当然の権利のように言うので、それは違うとはっきり言いました。態度が変わりました。「お前は悪魔だ」と言いつつ帰っていきました。しかも、何回も「悪魔」と言いつつ帰って行ったのです。この言葉が今でも耳に残っています。それで、その後もその類の人が来ると、悪魔呼ばわりした声がよみがえってくるのでした。
横浜の教会は当教会以上にお金をもらいに来る人が多いようです。ある教会は、その類の人が来ると、うそを並べる前に500円を渡して帰ってもらうことにしているそうです。うわさを聞いて次々にやってくるのではないでしょうか。500円以上は絶対に渡さないそうです。500円では行ってもつまらないと思う人もあるでしょう。また、別の教会の牧師は、その類の人が来ると、カメラを持ち出し、「あなたのような人が来ると、当教会は記念写真を写すんですよ」と言うそうです。黙って帰っていくと言われました。
川崎の桜本教会が路上生活者のために、週に二回も食事を提供していることは尊い働きです。お金を取るわけでは、もちろんありません。そして寄せられた衣類等も提供しているのです。その食事のために、随分と費用が嵩んでいるのです。教会はお金を上げる場ではなく、主の愛を分かつ場であるのです。桜本教会の活動の原点であるでしょう。
聖書の言葉
「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」(使徒言行録3章6節)