鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

聖別された日に…(招きの言葉 )

「日曜日は教会へ」と招きの言葉を掲げているのは、横浜にある蒔田教会です。この教会で用いているカレンダーは当教会と同じで、いずみ社のものです。今年のカレンダーの聖画は、後期印象派時代、1884年に描かれたフリッツ・フォン・ウーデの「子供らをわたしのもとに来さしめよ」で、ライプツィヒ美術館所蔵のものです。当教会はこのカレンダーに教会名と住所、電話、テレフォン・メッセージ電話番号を入れていますが、蒔田教会は前記の言葉を入れています。教会の道路に面した掲示板に掲げているので、道行く人々への招きの言葉になっています。また、このカレンダーを家に掲げている人々にとっても招きの言葉になっているでしょう。来年は当教会でも招きの言葉を入れることにしましょう。
今日は日曜日です。「日曜日は教会へ」招かれ、皆さんと共に礼拝をささげます。礼拝の始まりにあたり、招きの言葉が司会者により述べられます。聖書の言葉が招きの言葉になっています。当教会の招きの言葉を記しておきましょう。司会者はこれらの一つの言葉を読むことになっています。
礼拝招詞 1
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
(マタイによる福音書11章28-30節)
礼拝招詞 2
兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそあなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に倣(なら)ってはなりません。むしろ、心を新たにすることによって自分を変えていただき、何が神のみ心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
(ローマの信徒への手紙12章1-2節)
礼拝招詞 3
神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じるものが一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
ヨハネによる福音書3章16-17節)
礼拝招詞 4
全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。喜び祝い、主に仕え、喜び歌って御前に進み出よ。知れ、主こそ神であると。主はわたしたちを造られた。わたしたちは主のもの、その民、主に養われた羊の群れ。感謝の歌をうたって主の門に進み、賛美の歌をうたって主の庭に入れ。感謝をささげ、御名をたたえよ。主は恵深く、慈しみはとこしえに、主の真実は代々に及ぶ。
詩編100編)
礼拝招詞 5
目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから。どうか、主があなたを助けて、足がよろめかないようにし、まどろむことなく見守ってくださるように。
詩編121編)

聖書の言葉
「六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。」(出エジプト記20章11節)