鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

雀一羽すらお忘れにならない神様(物忘れしつつ)

今日は日本基督教団の役員会があり、西早稲田の教団事務局へ行きました。相鉄線かしわ台駅」から「大和駅」で小田急線に乗り換え、新宿までロマンスカーで行きました。新宿で降りて、ロマンスカーの帰りのチケットを買っておきました。そして、会議が終わって、新宿でロマンスカーに乗ろうとしましたらチケットがありません。ポケットの中、財布の中、名刺入れまで、そして鞄の中まで調べましたがありません。紛失してしまったようです。発車まで後2分でした。急いで発券所まで行きチケットを購入しました。かろうじて乗ることが出来、ほっとした次第です。その後の顛末記を記すのは恥ずかしいのですが、記しておきましょう。電車に乗って、チケットをなくしたことが腑に落ちず、改めて調べなおしました。ちゃんとあるではないですか。いつも胸のポケットにパスネット、スイカカード、バス共通カードを入れているのですが、一緒に入っていたというわけ。このポケットも何回も調べました。結局、重なっていて分からなかったのでしょう。無駄なことをしました。
探し物については思い当たる方がおられるでしょう。だいたい一日の半分は探し物をしていると言うとしたら大袈裟ですが、いつも探し物をしていることは確かです。探し物をする場合、先入観が働いており、たしか黄色の封筒であったとの思いが、机に積みあがっている書類の山を、ひたすら黄色い封筒を探すのです。しかし、結果においては茶色い封筒でした。眼鏡の探し物も、一日何回もいたします。無意識に眼鏡を置き、顔を洗ったりしたとき、置いたはずの場所になく、家中探し回ることがあります。
忘れ物と言えば、昔のことですが、手帳を紛失したことがありました。この場合はどこにおいたのか覚えていました。昔は携帯電話のない時代で、車の運転中に連絡をしなければならないことで、公衆電話のあるところで車を止め電話をかけました。そして、そのまま車を走らせました。手帳がないことに気がつくのは夜のことでした。そのときはすぐに公衆電話ボックスに置き忘れたことに気がつきました。その場所は家からかなりの遠距離です。いまさら取りにいっても無駄のような気がしました。もしかしたら親切な人が送ってくれるかもしれない、との安易な思いもありました。その頃は個人情報を守ることなど言われていませんでしたし、結構オープンに情報が流れていました。個人情報の悪用などはない時代でした。しかし、手帳をなくしてしまい、何も動きが取れなくなりました。新しい手帳に記憶をたどりながら予定を書き込んでいき、改めて必要なところに電話で確認したりしたのでした。手帳には私の日々の歩みがすべて記入されているので、何も出来なくなるのです。
物忘れなのか、連絡不十分なのか、夫婦の間で揉め事になります。言った言わないで連れ合いのスミさんとはいつも言い合っています。確かに出かけることを言っておいたはずなのに、出かけるときになって、何処へ出かけるのかと聞くのです。この間、今日のことは言ったはずです。そこで始まるわけです、言った言わないと。そのように言うスミさんも、出かけるといいます。聞いてないという私。昨日言ったでしょうといいますが、そこで始まるのです言った言わないと。言われたことはすぐに手帳に書くことにしていますが、夫婦の場合はいちいち書きません。だからスミさんは予定についてはカレンダーに書き入れるようにというのですが、それも忘れてしまうのです。
物忘れが多くなっている今、とにかく書きとめておくことでしょう。このブログも物忘れを防ぐ手段でもあります。何よりも神様のお恵みは忘れないで歩みたいものです。
聖書の言葉
「五羽の雀が2アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。」(ルカによる福音書12章6節)